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気仙沼線の必要性を訴えるブログ

このブログは廃線の可能性が示唆されている気仙沼線について、鉄路による復旧を心の底から願っているある利用者が、存続を訴えていくブログです。 利用者として見てきた私の視点から、気仙沼線の必要性について記していきます。 少しでも鉄路による復旧の理解に繋がれば、嬉しく思います。 管理者

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これからの地方鉄道を考える(後編)



第3章:バスやBRTで良い路線とは、どういう所?


しかし、どうしても、長距離利用者を世界から呼び込む事が出来ない路線があります。私の方では具体的に挙げる事は出来兼ねるのですが・・・、
簡単に言うなら今の気仙沼線の鉄路区間みたいな所です。
沿線人口が少な過ぎるのに、観光地が一つも無い。終点(柳津)も、鉄道に接続してない。故に長距離利用者を呼び込む要素がゼロに近い感じの路線が、当て嵌まると考えています。

でも、これに当て嵌まったとしても、キチンと存続している路線は沢山あります。私がいつか行きたいと思っている千葉県の銚子電鉄は、既に鉄道自体が観光対象です。

ですから正しくは
「今の気仙沼線の鉄路区間の様な感じなのに、銚子電鉄の様にテコ入れを行う事が見受けられない路線」と、
今の北海道の様に「長距離利用者を呼び込む努力をしないと路線が持たないのに、それをしてない路線」が該当すると私は思っています。

そしてハッキリ書きますけど、
今日の提言に基づくならば、『バスやBRTに転換した路線というのは、将来的には終わりを迎えるだろう』と私は考えています。


もう一度、事実として記させて頂きます。
地方に於いては人口減と車社会が進んでいる中で、地元の人しか使わない路線というのは、現在進行形で消滅が進んでる現実があります。
どこぞの共産主義の国みたいに、公共交通機関の利用強制でもしない限り、これを止める事は不可能なのです。

『その解決方法は、地元以外の人にも利用して貰う事です。出来れば長距離で。』

今の気仙沼線、誰が好き好んで、長距離利用しようと思いますか?

このまま行けば、
   鉄路もBRTも廃止になるに決まってます。


仙台⇔気仙沼の長距離利用者が、この路線の収益を支えていた過去の事実は、直ちに鉄路へ戻して頂いても決して変わる事はありません。三陸道が出来た今でも、「渋滞の心配無しに、2時間で、都会と観光地を直結する」というコンセプトは不変です。きっと今よりも、営業係数は絶対に良くなると思います。

問題は大船渡線です。震災前から、盛~気仙沼~(大船渡線経由)~一ノ関や盛~気仙沼~(気仙沼線経由)~仙台の通し利用が、少なかったのですから。だから私は、鉄路復旧を説明出来ないのです。JRから「鉄路復旧すれば、今よりも営業係数は良くなるのですか」と聞かれても、閉口するのみです。故に、只見線の様な取り組みが必要なのに・・・。「長距離利用者を呼び込む努力をしないと路線が持たないのに、それをしない路線」が、現在の大船渡線BRTです。

当たり前ですが、もちろんバスでもBRTでも、長距離の利用者がある程度いれば、きっと存続します。でもそれは、鉄道よりも呼び込みが難しいのが現実なんです。
そして廃線からのバス転換路線というのは、今の北海道の様に利用者の呼び込み努力もしてなかった所が圧倒的に多いのです。

・・・鉄路の時代にそういった努力もしてこなかったのに、バスやBRTでそれが出来るんですか?

    だから<詰み>としか言えないんです。


BRTの利点は結局、JR東日本の好意で生まれたものです。
300人未満に対して、異常に多い運転本数と専用道が維持され、鉄道と同じ運賃が維持されてます。
多くの通勤区間を持ち、専用道も持たず、運賃もBRTの2倍がデフォの仙台市営バスでさえ、全線が赤字なのにです。

どう考えても、公共交通として破綻しています。
増収が見込めない路線が、いつまでもこんな状態で永続する訳がないです。


だから私は「バスやBRTで良い路線とは、どういう所なのだろうか?」という答えとして、「将来的に公共交通を辞めても良い路線です」と解答したいと思います。


<エピローグ>

ここまでお読みいただいた皆様、有難うございました。
かなり厳しい事ばかりを書きましたが、私自身、記述が辛かったです。
でも気仙沼線の問題を皮切りに、公共交通の有り方について、随分と自分なりに調べた結果、今日の結論に至る事になりました。地方の公共交通を守る一番手っ取り早い方法は、地方への移住の強制と車の使用禁止を強制する事で間違い無いと思います。しかしそれがまかり通る世の中になれば、日本は既に民主主義国家では無い事を意味するでしょう。結局、人口減と車社会という現実に添って、地方の公共交通を守る方法を考えていくしかないのです。
ですが、今や車が便利過ぎる世の中となりました。地方の人は常に車で物事を考えて、車が使えない或いは使いたくない状況で初めて、公共交通機関の利用を模索します。元々の人口が少ないのに、その様な環境で路線を維持していくのは困難です。だから「地元の方しか利用しない路線は、もう詰んでいくだろう」と私は悲観的に見ています。
しかし、その事実は車を運転出来ない一定層を置き去りにすると言う事です。特に高校生の通学確保が出来ない様では、移住者なんて呼び込める訳がありません。また車社会に生きていない余所者である私から見ると、それは住めない地域と同義扱いとなります。

「公共交通機関の無い所に未来は無い」というのが、私の考えです。

 だからこそ、維持して欲しい。維持の為の努力をして欲しい。維持する事が、必ず、地域の衰退の歯止めとなります。

その方法として、「地元の方の足を守る為に、長距離利用者を世界から呼び込む」という私の提言が参考になれば、嬉しく思っています。そして、これはバスやBRTよりも鉄道が一番やり易い、だから簡単に廃線にしないで欲しい旨を強調させて頂ければ幸いです。

 『これからの地方鉄道を考える』、それは【地方(地元)の人だけでなく、色んな人に乗って貰ったその収益で、地方(地元)の人の公共交通を守る】
というのは、如何でしょうか?
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これからの地方鉄道を考える(中編)


北海道江差町にて撮影。江差線が無ければ、この景色を私は知らなかっただろう。

第2章:長距離利用者の増加が、地域交通を守る!

そもそも鉄道とは、長距離の利用を目的とした乗り物だと私は考えていました。戦時中の映像で徴兵された兵隊さんや、学童疎開の子供さん方が汽車で見送られる場面を見たりすると、「この方々は今から何時間位かけて、何処へ行くのかな?」と思ったりします。短距離で降りるとは、あんまり考えません。

ですが、時代は変わりました。地方では車は一人1台、高速道路どころか一般道もメチャクチャ整備された環境の現代では、わざわざ鉄道を利用しなくとも遠くへ行く事が容易になりました。
だから、こういった問題が起こるのだと思います。

という事は、かつてそれが出来ていた路線ならば、長距離の利用者が今では少ない路線だとしても、テコ入れ出来る可能性があるという訳です。例として、岩手県の山田線で考察してみたいと思います。

昔は宮古から盛岡へ行くとするならば、山田線しかありませんでした。しかし、現在は復興予算で完成した道路もある為、完全に車の方が優位となりました。もし宮古の方が首都圏へ向かうのならば、盛岡まで車、もしくは所要時間が短くなったバスの利用からの新幹線が一般的と言えます。鉄道の方が不便と感じる人に、鉄道の利用を強制する事は中々厳しいのです。
この様に、「昔は鉄道しかなかったけど、今は車やバスの方が便利だね」といった路線が日本には山の様にあります。この問題を解決すれば、全国にある地方鉄道の多くが救われる訳です。

ですが、この解決が難しい。
でもこの解決が、存続のポイントでもあるのです。


寧ろ、「輸送人員がどうとか」、「廃止だ、存続だ」と揉める前に、この部分を皆様には議論して欲しいと私は思います。

テーマはずばり、【どうやったら、かつての様に長距離の利用者を獲得出来るのか】です。

『長距離の利用者をなるべく多く獲得すればする程、運賃収入が上がり、鉄路の存続へと繋がる』というのが、私が出したい提言なのです。

この方法こそ、各自治体で考えて欲しいと切に思っています。例えば山田線で言うなら、宮古市がJRと協力して「山田線で盛岡を往復した方は、申請して頂ければ市で運賃を半分負担します」とか。こういう議論や試行錯誤によるテコ入れを、まずは行って頂くのが良いのではないかというのが私の意見です。

ただ一つだけ、どの地域にも共通して言える提案があるので、今回はそれを記したいと思います。
それは首都圏を中心とした観光客の方々、そして外国から来た方々は車やバスよりも、鉄道の有り無しで利便性を考えられているという事実です。

先程、地方では車は1人1台だと記しましたが、都会では免許すら持たない人がザラにいます。持っていても運転しない、そもそも車が無い状態の人が当たり前の様にいます。そして外国の方は、もちろん日本で運転なんて出来ません。そんな方々が出歩く時は当然、鉄道路線図から見ていきます。仮にバスが鉄道と並行して走っていたとしても、そんな事実は初見では分からないので、無視して鉄道を使う傾向が強いです。

地方鉄道が長距離利用者として獲得する層とは、正にこの方々だと思っています。

この方々を上手く呼び込み、鉄道で遊びにきて頂ける環境をつくる事が出来れば、私は地方鉄道の大部分は廃止しなくとも存続出来るのではないかと考えています。

だから今の北海道の考え方が、私は嫌いなんです。
地元の利用者目線と経費問題だけで、どんどん廃止を決めていく。鉄道は地元の人だけでなくて、誰もが乗れる交通機関なんです。その事実が抜けてませんか。札幌や飛行機で来る首都圏の方々、或いは漸次的であるものの回復が見込まれる外国人観光客の往来等は考えましたか。「どうやったら、長万部~小樽又は深川~留萌間を乗り通して頂けるお客様を増やせるか」等、真剣に考えて議論したのでしょうか。せっかく、わざわざ都会の人が来ても良いなと思える観光地を沿線に持っているのに・・・。もったいない。

私みたいに運転をしない人は、もう、永遠にその地域へ行く事はないでしょう。足が無いですからね。代行バスが運行されたとしても、鉄道でなければ、わざわざ行く気になんてならないのです。

車社会の中で地元の人しか使わない路線というのは、現在進行形で消滅しています。


鉄道の強みは、地元以外の方も軽い気持ちで利用しちゃえる環境が醸成されている事なんです。バスには群馬県の長野原~草津温泉の様な有名過ぎる一部路線を除いて、それが無いんです。だから地方でバス転換をすれば、利用者減少による将来的な廃止へ至るのは当たり前なんだと私は考えています。

『地元の方の足を守る為に、長距離利用者を世界から呼び込む』、これが私の提言です。

 

後編へ続きます

これからの地方鉄道を考える(前編)


五能線沿線に遊びに行った事は、私の一生の思い出だ。
これがバスやBRTだったら、永遠に来る事は無かっただろう。

<プロローグ>

先に皆様にお話ししたいのですが、このブログは元々、
   『何故、気仙沼線を鉄路で復旧させる必要があるのか?』
               を主軸としてスタート致しました。
そして勿論、今でも私は
 『気仙沼線はBRTは直ちに辞めて、すぐに鉄路で復旧するべし!』
                と当たり前の様に思っています。 

その理由はただ一つ、
    【BRTで良いままの理由が見つからないから】です。

しかしブログを開設した頃と違い、いよいよ「全国に地方のJR線の存続が問題視される」様な情勢となってしまいました。

そこで今回はいつもと少し趣向を変えて、「鉄路の存続には、何をすべきか」「鉄路からバス・BRTへ転換するのは、どういう状態が相応しいのか」という観点から、ブログを掲載する事にしました。

本当はこういう事をしてしまうと、「じゃあ、私が鉄路の方が良いと思っている路線は、BRTの方が良いって事?ふざけんなよ!!」と反感を抱く方が必ずいらっしゃると思いますので、ずっと控える様にしていました。現に私は、大船渡線のBRT区間については個人として今でも鉄路派ですが、気仙沼線の様に鉄路が必要な理由を理路整然と説明出来ませんでした。沿線の鉄路派の皆様には、申し訳ない限りです。

ですが全国にて、「これからの地方鉄道を考える」風潮が生まれ、色んな人がこの問題を考える雰囲気になってきました。

その際にただ「赤字だから、すぐにバスやBRTにしよう!」と考えられちゃうのは、絶対に違うと私は強く思ってます。

現に今の北海道の考え方がそう見えて、大っ嫌いです!


私が定年した頃にはもうほとんどの路線が無くなってて、「こんな鉄道もない様な僻地、旅行にも行けないな!」と勝手に騒いだ挙句、候補先を最劣後へと回す事になるでしょう。


だからこそ、今回の掲載内容が少しでも、「自分の地域が鉄路に向いているのか、向いていないのか」を考えるきっかけになって欲しいという想いが芽生えたのだと思います。
BRTに反対し、その不便さや意味の無さを発信し続けてきましたが、それはBRTをずっと見てきたから分かった事でした。その事柄から、全国の皆様に発信出来る内容もあると考えた次第です。不愉快な点もあるかもしれませんが、最後までお付き合いを頂ければと思います。どうぞよろしくお願い致します。


<第1章:輸送人員より赤字額を減らす方が大事!>


最初に申し上げたいのは、この項目となります。
政府は『1000人未満を対象に、議論すべき』と言いましたが、これは何の指針にもなりません。相変わらず、「政府は政府らしい事しか言えないんだなぁ」と呆れていた処です。これはJRの立場が分かっていないと、素直に思います。

JRがして欲しいのは『輸送人員を増やす事ではなくて、赤字をどうにかして欲しい』という事です。ハッキリ言えば、1000人未満の輸送人員でも、黒字又は酷くてもトントンであれば、こういった話しは出ないのです。

例えば2000人が毎日、利用している路線があるとします。しかし、ほとんどが通学定期で短距離利用の為、一人から400円位しか運賃が入らないとします。すると2000人×400円=80万の収入となります。
しかし、これは逆でも同じ結果となります。つまり1日に400人しか利用のない路線でも、ほとんどが長距離の利用者で2000円の乗車券を買う方ばかりならば、400人×2000円で=80万となる訳です。つまり400人でも、その路線の使われ方で2000人と同じ収入が得られてしまう訳です。

私はこの理論が成り立つ路線は、決してバスやBRTに転換せず、絶対に鉄路で残すべき路線であると強く思っています。

「つまり長距離利用者が多い路線は、鉄路のままテコ入れすべき」という事です。


今の気仙沼線を見て下さい。震災前は800人~850人であった利用者が、今は鉄路・BRT区間の平均輸送人員が250人前後となっています。ハッキリ言って、公共交通として終わっています。JR北海道だったらBRTどころか、バス転換による完全撤退のレベルです。そしてこんなに多くの利用者が離れていった理由はもちろん、今の気仙沼線が使え無さ過ぎる故です。
震災前に気仙沼線が担っていた「仙台と気仙沼を2時間で結ぶという役割」が果たされていないから、利用者が返ってこないのです。

長距離利用者の方で支えられている路線が安易にバスやBRT転換すれば、今の気仙沼線の様になります。

BRTで本数が増えたとか、細かく駅(停留場)が出来て便利なったとか言われますけど、それで喜んでいるのは今の利用者だけです。こんな250人以上の利用が見込めない路線が辿る道は、将来的な運転本数の削減と廃止だけだと私は強く思っています。

人口減で悩みかつ車社会の地方では、地元の方による短距離利用だけではそれこそ、公共交通の維持なんて出来ません。

存続の鍵は、如何にして「長距離利用者を獲得するかだ」と私は強く思っています。


私の見立てで申し訳ないのですが、JRだと青森県の五能線や岩手県の釜石線等が、震災前の気仙沼線と同じく長距離利用者で支えられている路線となるのではないでしょうか。特に五能線は豪雨災害の影響で存続が心配されていますが、この路線こそバスやBRTにすれば、利用者が今の半分以下以上に減ると思います。能代~五所川原間なんて、それこそ観光の方で成り立っている区間の様に思われます。

・・・コロナ前、リゾートしらかみと普通列車で行った事がありました。しらかみは満員だったのに、普通列車は途中まで貸し切りでした。1回しか利用した事はありませんが、「五能線はすっかり、観光鉄道なんだなぁ」と率直に思いました。持続的な公共交通を続ける為にも、鉄路以外はあり得ないと余所者ながら、私は思っています。

『長距離の利用者が見込める路線は、その方々を基軸としたテコ入れを行って、地域交通を守っていく』


これが最も簡単でかつ、地域の衰退を招かず、寧ろ地域経済の発展にも寄与出来る政策だと私は確信しています。その方々の収益が赤字額の減少へ繋がり、廃線の危機を遠ざけるのです。

中編へ続きます

  震災から11年、「おかえり気仙沼線」を信じて

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       令和3年(2021年)の8月9日、気仙沼大島の亀山にて

             2011年の3月11日から、11年が経ちました。
                           11という節目に、思う事。
やっぱり、
    気仙沼線は鉄路が1番11(いい)という真実』
                                                                           
です。

三陸自動車道が全通してから、1年以上が経過しました。
従来に比べて利便性が高まった現状は、本当に有難いと思っております。
しかし、逆に言えば、三陸道は気仙沼線の代替には成り得ないという事実も露呈させてくれました。

    何故か理由は分かりませんが、
       しょっちゅう、通行止めになる三陸道。

特にこの冬は、3日に1回は何処か通行止めになっているイメージでした。

その影響は一般道へ降りる車の渋滞によって、
                                                  どんどん予定を狂わせていきます。

仙台~気仙沼間の高速バスも、メインルートが三陸道へ切り替わる中で、やっぱり定時制に過度な期待は出来ない事を示してくれたと私は思っています。

    『速く、時間通りに、快適な旅を。』


  気仙沼線が持っていたコンセプトに、
                             おかえりと声を掛ける日を、
                                                       これからも待ち続けていきます。


・・・そもそも、これは全ての鉄道沿線自治体の皆様に言えると思いますが、東京等といった都会に住む人は、車で物事を考えません。免許は無い、又はペーパードライバーである方が多数を占めてる為です。

    地方が車社会、それ故にこの現実を見落としている様に感じます。

車でないと行けない不利な条件は、
                               訪問場所選択として劣後です。


函館本線の山線問題も、大糸線の南小谷以北の問題も、もちろん気仙沼線の鉄路復旧が必要な理由も、これをきちんと考慮して考えて欲しいと思っています。
(因みに筆者は大糸線が無ければ一生、糸魚川の観光には行かなかったと思うし、函館本線の山線が無くなれば、ニセコ町等へも永遠に行かないでしょう)

・・ロシアによる侵略戦争のせいで、原油高の時代へ入りそうです。
そして中国も、もし便乗して台湾へ侵攻すれば、さらにヤバい時代に突入するかもです。
ウクライナでは避難ルートとして、鉄道が大いに貢献しているとも聞いております。

これを機に、もう一度、
      公共交通機関の価値を見直すべきではないでしょうか。

        「おかえり、ヘイワ」と後世に呼ばれない事を信じて。

                                                                                                         筆者

東日本大震災から10年を迎えて

先の震災から、今日で10年となりました。
改めまして、東日本大震災で被災した皆様に、深くお見舞い申し上げます。

私自身も被災し、様々な影響を受けた出来事でした。
きっとここまでの経験は、風化せずに一生、溶け込んでいくのだと思っています。

この時節となりますと、やはり震災関連の記事が多く目立ちます。
その中にはもちろん、気仙沼線の内容も含まれておりました。

『震災を契機に鉄路を諦め、バス転換』とか『BRTでも利便性に差異はない』といった記事を目にする度に、居た堪れない気持ちになっています。

このブログでは『BRTでも利便性に差異はない』という点を、全否定してきました。その事実は今でも、変わる事はありません。

また『震災を契機に鉄路を諦め、バス転換』というのも、全否定致します。


もちろん、これまでブログで記させて頂いた通り、専用道の造り方からも証明出来るのですが・・・。きちんと自治体も態度で、これを示している事もお伝えしたいのです。


気仙沼市はJRとのBRT同意書に「鉄路での復活の可能性を今後も残すこと」を確認しました。

また南三陸町議会では、去年、町長より「快速南三陸号の復活を目指したい」との発言がなされております。

そして両自治体とも、議会にて「JR気仙沼線の鉄道事業廃止届撤回に関する陳情書」を、令和元年(2019年)末に可決しました。

4年前、大船渡市長が「大船渡線鉄路復旧については再考はありません」と公言した事がありました。自治体が諦めているなら、それが正しい理です。気仙沼線の沿線自治体では明らかに、大船渡市とは真逆の姿勢が貫かれています。

もちろん、何度も言いますが、だからと言って直ちに鉄路復旧がなされる環境ではないです。

ですが鉄路を待っている皆様に、「気仙沼線はまだ希望はあるんだよ!」と改めて伝えさせて頂ければ、嬉しく思っています。

BRTの赤バスを見る度に、すぐに震災の事を思い出します。
思い出してばかりだと辛いので、早く鉄道に戻してくれないかなぁ・・・。

次の10年も出来る事をしながら、しっかりと見守っていきたいと思っています。

筆者

プロフィール

HN:
saiwaityouandkawabata
性別:
非公開

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