
10月9日(月)早朝、気仙沼駅にある利用者が姿を現した。
6年半ぶりに目にした電光掲示板を確認すると、嬉々とした気持ちに表情が緩む。
「全く、999だって1年に1本はあるのにな」と皮肉混じりに考えながら、いそいそと列車に乗り込んで行った。(・・・掲示板、快速表記欲しかったなぁ)
まぁでも、こんなにワクワクした気持ちで列車に乗ったのは、本当に久しぶりであった。
8時12分、列車は気仙沼駅を出発する。
出発直後の車内アナウンスでは確かに「次は終点の仙台に停まります」と話している。
・・・斬新だ。震災前では絶対に有り得なかった放送だ。「これは記念に録音でもしておけば良かったかなぁ」と思っても、もう放送は終わっているのだから仕方が無い。
8時30分頃、まずは折壁駅に運転停車した。
列車行き違いを行う為、2分程度停まる。
停まっている間に車内を歩いて見ると、きちんと地元の人っぽい方も多く利用しているのが分かった。
出発前、いわゆる趣味で乗りにきたと思われる人達が写真ばっかり撮っていたので、何となく不安だったのだ。
「物好きしか乗車してないでしょ?」と言い掛かりをつけられるのだけは、絶対に嫌だった。
「私のように必要としてくれる人達が居るんだという事実を、この列車は示してくれている。」そう安堵出来た2分間だった。
大船渡線の主要駅である千厩や摺沢を通過しながら、列車は快走を続けていく。
そんな中で次の運転停車駅である真滝には、9時15分頃に到着した。
列車行き違いの運転停車なのだから時刻表では当然、通過扱いだ。
だが乗っている側からすると、「千厩や摺沢は停まんないのに、真滝には停まるのかよ!?」とツッコミたくなってくる。中々面白いなと耽っていると、あっという間に列車は国道284号線と併走を始めた。もう一ノ関である。
車掌のアナウンスが響く。
「一ノ関では列車の進行方向が変わります、リクライニングシートを回して下さい」
・・・車掌からシートを回してくれとお願いされたのは、私は初めて。成程、行程としてはまだ4割しかきていない。趣味っぽい人達と違って地元っぽい人達は、シートを回すレバーを車掌のアナウンス通りに懸命に踏んでいるようだった。
ふと時計を見ると、9時20分過ぎ。一ノ関まで1時間と10分ちょっとできた。
これは早い。超、快適だ。なんて素晴らしい列車なんだろうと思った。だが仙台到着は11時10分のはずだ。ここからだとそこまで時間は掛からないはずだが・・・。そんな疑問を感じていると、車掌が続けてアナウンスした。
「なお、一ノ関では20分停車致します。発車は9時45分です。ドアは開きませんので、ご注意下さい。」
「えーっ、20分も停まんの!?」
ショックを受けた私は、地元っぽい人達のような回し方をしてしまった。あー、そりゃ3時間もかかるわなぁ。もったいない・・・
定刻通りに一ノ関を出発した列車は、いよいよ東北本線へ入った。
ここから先は複線なので、行き違いによる運転停車は有り得ない。
だが私には気になる事があった。この列車は終点までノンストップのはずなのに、仙台まであと1時間25分掛かる設定なのだ。普通列車で1時間30分なのに、どういう事なんだろうか?
その答えはすぐに、私の実感として表れた。
スピードが遅い、遅い、・・・おそーい!!
東北本線の普通列車は90キロ以上でぶっ飛ばして行くのがデフォなのに、まぁ遅い!!!
何てもったいない走り方をしているんだろう・・・。
10時25分頃、列車は停車速度で小牛田駅構内に進入していく。
スピードの遅さに少し苛立ちを覚えていた私は列車に邪念を送るべく、ヘイスト系の魔法を詠唱していた。だがその目論見が露見したのだろうか、JRは4番線に停車していた気仙沼線の柳津行を繰り出してきたのだ。詠唱を中断した私はうっかり、呟いてしまう。
「そっか・・・。もう小牛田なんだ」っと。小牛田は近かったのだ。
震災後の私にとって、気仙沼と小牛田が近くに感じた事など一度も無かった。いつもいつもこの経路で往来する時は、「まだ小牛田か・・・」と残念がるだけ。
気仙沼から来れば「まだ仙台着かないんだぁ・・・」、仙台から来れば「またBRTかぁ・・・」とがっかりしてくる。気仙沼が遠い事を認識する、そんな場所だったのだ。
「気仙沼なんてすぐ着くじゃない!!」と思えたのは、
実に6年半ぶりの事であった。もちろん所要時間で見れば、ここまで2時間10分。昔の気仙沼線(普通)は2時間でここまで来た。金成回りの高速バスなら今頃、大和か泉の辺りだろう。だが、それでも、快適な空間とは刻を忘れさせてくれる。
今後の往来の主軸にするなら、私は絶対、コレを選ぶだろう。
さて、魔法がかからなかった列車は、相変わらずの低速走行を続けていた。しかし一度近いと思った私には、もうそれはどうでもいい事だ。
この6年半、車でも高速バスでも、「まだ着かない、まだ着かない、気仙沼は何て遠いんだ!!」が口癖だった私。こんなに清々しい気持ちになったのは、いつ以来だったろうか。
そう思いながらぼーっとしていると、車窓には東北歴史博物館が目に入ってきた。さぁ、仙台はもう目前だ。
11時10分、定刻通り仙台に到着する。
相変わらず趣味の人達が写真を撮っている様子が見受けられたが、今度はそんな事に何の感情も抱かない。ただ一言、思う。
「今から同じ列車で、気仙沼戻ってもいいなぁ・・・」と。
仙台と気仙沼を身近に感じさせていたあの頃を想いながら、心の涙を拭うと階段を上がった。
某党は従来の在り方をリセットし、しがらみに囚われない新しい政治を目指すと言った。まあ政権を担うどころか野党第一党にすらなれず、「絶望した!!」と叫ぶ議員さんで溢れ返っているようだ。
そんな中でJRは従来の「直通快速の運転については、慎重に検討します」という考え方をリセットして、支社境というしがらみを越えて、快適な列車を運転した。確かに高速バスより時間も掛かり、正規料金も高い。だが「快適だった!!」と心の中で叫ぶ利用者は、数多くいたと私は確信させて頂きたい。
仙台~一ノ関は高速走行で間違いなく、1時間10分以内だ。一ノ関での停車を5分に抑えれば、
確実に仙台~気仙沼は2時間30分を切れるだろう。
この状態で、定期運行及び気仙沼線経由と同等の料金にして頂けるなら、仙台へのアクセスという面では充分合格点だと思った。
もちろん今でも、私は気仙沼線の鉄路復旧を絶対に行うべきだと思っている。早く鉄道軌道整備法が改正されて、
もう一度鉄路復旧に向けた議論を再開して欲しいと願っている。
だがまずはこの快速列車に希望ある未来を預けて、今後を見守ろう。
気仙沼と仙台を再び近くする、それが草の根からの民意だと信じて・・・
次回は鉄道軌道整備法が改正されましたら、更新致します。
(もちろん他に動きがありましたら、随時掲載予定です)
よろしくお願いします。
筆者
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