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気仙沼線の必要性を訴えるブログ

このブログは廃線の可能性が示唆されている気仙沼線について、鉄路による復旧を心の底から願っているある利用者が、存続を訴えていくブログです。 利用者として見てきた私の視点から、気仙沼線の必要性について記していきます。 少しでも鉄路による復旧の理解に繋がれば、嬉しく思います。 管理者

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未来④:気仙沼線の合意内容が語る道筋~還るもの・失うもの~


・・・この順位表の47番や、71番、願わくば48番が点灯する日を祈っている・・・。

まず初めに、「気仙沼市はよくやってくれた」と私は思っています。
本当にお疲れ様でした。

 でもやっぱり、残念でならない。これが正しい答えだとは思えない。それが私の正直な気持ちだ。JRと気仙沼市にこの結論を導かせた国、そして簡単に諦めた南三陸町行政の愚考を、私は生涯忘れない。

 さて今回は、気仙沼市とJRの合意内容を見ていこうと思う。
気仙沼市の公式発表を、私なりに分かりやすく解説していく。

気仙沼市の公式発表
例の如く、リンク切れでしたらご了承下さい。


<気仙沼市とJRの合意内容>
大きく分けて三点ですが、このブログでは特に二点目について詳細に取り扱わせて頂きます。

●一点目
 JRはBRT本復旧に当たり、今後も運行頻度・時間短縮等といった利便性向上に努める。

⇒これについては、私からは特にコメントはありません。何故なら、既に合意していた他の自治体も同様の要望をしていたからです。もちろん、これだけでは気仙沼市は合意しなかったでしょうし、私も絶対に評価する事はなかったでしょう。次が本題となります。


●二点目
 JRは気仙沼~仙台間のアクセス向上を、以下3点で努めていく。

⇒このブログで私が何度も指摘した通り、ここが最大のポイントでありました。JRが何処まで妥協するか。本当によく、気仙沼市は頑張ってくれたと思っております。


■①東北新幹線で仙台⇔一ノ関間を利用し、一ノ関⇔気仙沼間は大船渡線を用いた場合でも、運賃は気仙沼線経由とほぼ同じ料金とする期間限定の割引切符の導入を、JRは検討する事。■
⇒・・・実はこれ、私は無理なんじゃないかと思っていたんですね。期間限定とはいえ、よくやってくれたと思います。

 震災前、仙台⇔気仙沼は快速列車で2時間、正規料金2270円でありました。今の気仙沼線はBRTという使えない代物なので、4時間もかかります。これが解決しない限りは、絶対に鉄路以外選択はないと思っていた次第です。ですが気仙沼地域だけは例外で、これを解決できる術がありました。それが①で示したルートなのです。

 具体例を挙げます。仙台12時17分発に一ノ関停車のはやぶさ号があるのだが、それで一ノ関まで出て、そこから12時45分の気仙沼行きの大船渡線に乗り換えた場合、気仙沼は14時09分に到着する。・・つまり1時間52分で、仙台から気仙沼へ向えるのだ!!
 
だが・・・料金は4860円になる。気仙沼線経由の2倍近い運賃だ。こんな話しは無い。だから気仙沼市は「気仙沼線で2時間で仙台まで行けない状態を一生続けるなら、このルートを気仙沼線経由と同等の運賃にしろ!!」と交渉していたのである。しかし一ノ関から仙台までの新幹線特急料金が1840円もするのに、JRは了承出来るのだろうか?

 ・・・期間限定とはいえ、よくやってくれたと思います。これが実現すれば、私も純粋に嬉しい。では2つ目、行きましょう。




■②JRは仙台~(東北本線)~一ノ関~(大船渡線)~気仙沼というルートで、快速列車の運転検討する事。■
⇒もういいでしょう。私が『未来③:気仙沼線沿線自治体首長会議Part3 導かれた未来』で言いたかったのは、正にこれです。この快速の運転が行われない限り、絶対にBRTは認められませんでした。これも具体例を示そうと思います。

 まず仙台⇔一ノ関ですが、この区間は停車駅を小牛田のみとすれば1時間ちょっとで行く事が可能なんです。運転を終えたカシオペア号は、仙台⇔一ノ関間を1時間7分で結んでおりました。一ノ関⇔気仙沼間は普通列車で1時間20分、当然快速列車ならば10分~15分の短縮は可能です。(気仙沼線は気仙沼~小牛田間の普通と快速の差が、30分でありました)・・・となれば快速列車で仙台⇔気仙沼は平均2時間10~20分で行ける。私はずっ~と、そう思っていたのです。確かに昔よりは10~20分程遅くなりますが所要時間は高速バスより短く、かつ定時性も担保されます。後は料金を気仙沼線経由と同等にすれば、この問題は解決してしまうのです。大船渡線で、気仙沼線が担ってきた役割を果たす。これが実現すれば、私自身は安泰です。


 実は私は仙石線が不通の時に運転されていた仙台~(東北本線・石巻線)~石巻の快速列車を見た時、既にこの事に気が付いていました。小牛田回りのこの列車が石巻まで1時間ちょっとで行けると知った時、「震災前の仙石線普通列車より速くね?」と思ったんです。それが、この発想のきっかけでした。

 ですがそれを大っぴらに言う事は、気仙沼線の復旧価値を下げる事になると私は感じていました。お偉いさん方に「大船渡線で何とかするから、気仙沼線直さなくていいよね?」という発想をして欲しくなかったのです。これはあくまでも気仙沼地域だけの解決方法であって、志津川・歌津・本吉には関係のない事でしたから。利用者としてはずっと前から「これさえあれば、文句無いのに!!」とよく思いましたが、志津川が馬鹿な事を言うまでは発言を控えるようにしていました。・・・きちんとこの実現を方々に陳情してきて、本当に良かったと今は思っています。


 以上の2つが、気仙沼市が結論を引き延ばした意義であり、市長が「大きな成果」と評価している部分だと私は思っております。この2つ、即ち仙台から気仙沼までのアクセスを震災前水準へ戻してもらう事こそが、とても大事な事だったのです。震災前よりも不便になるようでは、復興に結びつく訳がありません。だからこそ私も、この事案を評価し歓迎したいと考えています。

 ・・・ですが、まだ安堵は出来ません。皆様、何故だかお分かりになるでしょうか?

 ・・・これ、全て検討するなんですよね。

 以前、「移設費用の捻出を検討しています!!」と言って1年4ヶ月も放置した挙句、何もしなかった最低な馬鹿共の先例があったりしますので。「検討したけど、ムリ~」とか、「割引きっぷ、4000円で売りましょう!」とかでは話になりませんよね。


  もう少し、注視していく必要があります。
   まだまだ、気が抜けません。





 あっ、3つ目を記しておくのを忘れましたね。

■③恒久化する気仙沼線BRTについて、JRはBRT(バス)を用いた仙台へのアクセス向上を検討していく。■


⇒これは既に志津川(南三陸町)もこの条文を前提に合意していたので、特にコメントはありません。ただBRT(バス)でどうやって、仙台へのアクセス向上を実現するんだろうなーっと。確かにいくつか考えられますけど・・・、見物ですね。私自身はBRTの前谷地延伸なんかより、陸前戸倉までの鉄路復旧の方がよっぽどアクセス向上に繋がったと思うんですがねぇ~・・・。

それでは三点目、行きましょうか。

●三点目
 JRは気仙沼市と共に、道の駅大谷海岸(はまなすステーション)の再建に協力する。
⇒唯一、これは確約で合意致しました。計画段階から協力頂けるという事実は、準地元民としては喜ばしい事だと思います。気仙沼市としても鉄路から外れる本吉地区の観光振興をJRと共に担っていける事は、代価としては充分だったのではないでしょうか。同地域に対するJR東日本のこの姿勢を、私は評価したいと思っております。

以上の三点が、大きなポイントになるかと私は考えております。


 検討という言葉や、具体的な内容(割引切符の期間,値段,直通快速の運転の時期等)が示されていないのが心配の種ではありますが・・・
これが全て実現するならば、気仙沼地区の利用者としては合格点だと思っています。

 国や志津川の冷たい北風に吹かれる中で、気仙沼市はよく頑張って下さいました。またJRが同市の要望を聞き入れ善処して下さった姿勢に、御礼を申し上げたいと思っております。



[今回の合意で、気仙沼地区の利便性は還る事が出来ました。]
 即ち、『仙台へのアクセス』については、震災前水準へと回復する見込みとなりました。この事実は必ずや今後の復興に於いて、新しい光となっていく事でしょう。
 
 速達性ある鉄路の復旧、これ無くして復興なんてありえません。震災前より不便な乗り物なんて、復興に寄与する訳ないのですから。



[そしてこの合意によって本吉・歌津地区の鉄路復活の可能性は、ほとんど失われました。]
 これまでの流れを振り返れば、すぐに分かる事です。志津川~気仙沼間の鉄路復旧は移設が認められない限り、JRは動きません。費用捻出しようにも、国は無視。南三陸町は、何とかなるはずの陸前戸倉までの鉄路復旧すら諦観してしまいました。同町で発足した鉄路を求める住民団体の力で、もしかしたら志津川までは鉄路復旧する未来はあるかもしれません。それはそれで応援したいのですが、その先には気仙沼市が控えています。10年後とかに「志津川~気仙沼間は第三セクターで鉄路復旧出来るよ」とか言われても、上記合意内容が既に履行状態の気仙沼市にとっては戻すメリットが少なすぎるのです。

一応気仙沼市とJRの合意文書には・・・

気仙沼市
「遠い将来における気仙沼線の鉄路での復活の可能性を存置すること」

に対して

JR
「新たな社会経済情勢に適合した地域交通の維持・提供を目指します」

と書いてありました。ですから鉄路の可能性は、残ってはいます。しかしJRによる鉄路復旧は99%は無いと言えるのも事実なのでしょう。JR主体でなければ、多分、気仙沼市は鉄路復旧には消極的となるはずです。一番の課題だった「仙台へのアクセス」が、もう解決している予定なのですから。
・・・だから志津川、あの時に騒いでおけば良かったのに!!


 震災前の水準に回復しない⇒不便になる⇒不便な所に人は住まない・住めない⇒人口減少

 この方程式の辿りつく先は、消滅です。


 気仙沼線のこの決定、利用者として私は評価しております。
 ですが本吉・歌津・志津川の事を考えると、本当に残念でした。
 まずはきっぷの発売と、大船渡線直通快速の運転に期待を寄せて。
 そして本吉・歌津・志津川の今後を憂いながら、この章を終えます。
 有難う御座いました。
 
 ・・・一応せっかくなので、ずっと公開せずにいた『第十回:移設ルートを考察する』を1%だけ残っている鉄路復旧の可能性に絡めながら記そうと思います。GW頃の公開を目指します。

 どうぞ、よろしくお願い致します。


by管理者
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特別編⑥-2:気仙沼線復旧団体、南三陸町にて設立                                   ~南三陸町への手紙~

この手紙は平成27年6月の「第一回気仙沼線沿線自治体首長会議」の結果を受けて、作成に至ったものです。


南三陸町役場御中

 突然のお便り、失礼致します。気仙沼線を生活路線として、利用している者です。幼き日より今日に至るまで、ずっと同地域と関わりながら生きて参りました。この度は貴町で現在議論が為されている「JR気仙沼線の今後の在り方について」どうしても申し上げたい義があり、非礼ながらもこのような形で封書を郵送させて頂きました。町外の人間が貴町の行政に口を挟む旨を、どうかお許しください。しかしながら最後までお読み頂ければ、幸いに思っている所存であります。どうぞよろしくお願い致します。

 先頃東京にて気仙沼線の今後について話し合う「気仙沼線沿線自治体首長会議」が開かれていた事を、報道で知りました。その際に貴町の佐藤町長が復旧の在り方について、「鉄路への思いは強いものの、BRTのメリットは勘案する必要がある」とされた上で、「本数が増え、高校生にはBRTの方が使い勝手がいい」とお話されている旨をお聞きさせて頂きました。南三陸町では鉄路による復旧か、それともBRTの継続か、どちらが将来の町の復興に於いて良いかについて、とても迷っている様子を受け取った次第でありました。同線の今後の在り方については、必ず貴町の将来を左右する重要な部分となっていくに相違ないと私は考えております。そのような大切な事を勘案されていく中で、少しでもこの封書が貴町の判断材料の一つとしてお役に立てれば嬉しく思っております。

 私は震災前から今日に至るまで、ずっと気仙沼線を利用してきました。故に同線の人の流れを、今日まで見てきた次第です。その様子から鑑みて、私は気仙沼線に関しては『全線鉄路復旧の方が、貴町の将来にとって有益となるのではないか』と考えております。それは「復興の象徴」という議論や「気仙沼線の歴史的価値」という判断からではなく、『同線の人の流れ』から鑑みた私の考察です。

 貴町が鉄路かBRTかを判断するに当たって、最も考慮するに当たっているのが「BRTの運転本数の多さ」にあると思っております。鉄道時代よりも2倍以上増えた本数の多さは、無視出来ないものだと考えております。今回別紙に震災前の気仙沼線の時刻表(別紙1)と震災後の気仙沼線の時刻表(別紙2)を送らせて頂きましたが、その差は明白です。

震災前気仙沼線時刻表
震災後気仙沼線時刻表
リンク切れでしたら、すみません。


 特に貴町は隣接する気仙沼市とは縁が深く、車が運転出来ない高校生や年輩者が同市へ向かう場合、鉄道より利便性がある事は疑いないと思います。鉄道に戻せば本数が現行より削減される事は火を見るより明らかであり、まず間違いないはずです。
 しかしながら、ここでよくよくお考え頂きたいのです。それは「現在のBRTの運転本数が、恒久的にそのままであるのか」という点です。BRTとはバスです。町営バスを運転されている貴町もご存知の通り、バスとは増便も簡単であるならば、減便も簡単であるのです。

 別紙3として、JR東日本の輸送人員表を送付させて頂きました。
JRの輸送人員表
これもリンク切れでしたら、すみません。 

 2013年度の柳津~気仙沼間のBRT輸送人員は268人でした。現在志津川~気仙沼は平日上下39本のBRTが運転されておりますが、これは即ち1便当たりのBRTに対して平均で6~7人しか乗車されていない計算となっています。朝のBRTは高校生の通学ラッシュによって混雑致しますから、それを鑑みれば日中のBRTが如何に著しく利用率が低いかがお分かり頂けると思います。このような状態がずっと続いていくならば、今後に於いてJRは現在の運転本数を維持していくでしょうか。佐藤町長が首長会議で述べた通り、貴町に於ける主力交通手段は車であります。となればBRTの需要を掘り起こす事は、正直、とても難しいと考えられます。もしBRTを貴町が本復旧として選ばれるとするならば、この現状が変わらない限り10年・20年後には、BRTの本数は鉄道時代と同数に削減されてしまう事が目に見えております。将来、鉄道よりも時間がかかり、乗り心地も悪く、遅延可能性も高いBRTが来るのを、鉄道時代と同じように不動の沢駅で2時間も待ち続ける貴町の高校生達の姿を、私は見たくはありません。こういった可能性を踏まえて頂いた上で、本当にBRT継続が貴町のためになるのかどうかを勘案して頂きたいのです。確かに現状だけ見れば利用者にとってはBRTのメリットは大きいのですが、50年・100年後も残り続ける気仙沼線に於いてそれが真に正しい姿なのかどうなのかを思案して頂きたいのです。

 鉄道はBRTと違い、速達性と定時性、そして大量輸送に優れた乗り物でした。現在のBRT気仙沼線を見る限り、南三陸町に於ける一番の利用者はやはり高校生であると思います。町内には志津川高校がありますが、町外の高校へ通われる方もいらっしゃると思います。特に不動の沢駅側の気仙沼高校へ通う生徒さん方は多いのではないでしょうか。もし志津川からそこへ通う場合、震災前の時刻表(別紙1)では志津川駅6:32か7:06発の気仙沼行きに乗車し、不動の沢まで51分~1時間かけて通っていたかと思います。この列車はそれぞれ4~3両編成の運転であったため志津川からは確実に座れ、歌津までなら少ないながらも空席があった列車ではなかったでしょうか。一方、現在の気仙沼線(別紙2)で気仙沼高校へ通うとするならば、志津川駅6:31、6:43、6:50が候補だと思います。所要時間は1時間21分~1時間29分と、鉄道より21分~29分も遅くなっております。加えて列車と違い着席数が少ない事から、多くの生徒さん方が1時間以上も立ち席となるのが現状ではないでしょうか。鉄道の復旧が貴町の高校生方の通学負担を大きく軽減出来る旨が、推察出来るかと思います。こういった細かなメリットにも、是非注目して頂きたいのです。貴町でBRTの運転本数削減に少しでも危機感が感じられましたら、是非とも貴町に住む未来の高校生方のためにも鉄路復旧の可能性に力を注いで頂きたいのです。

 そしてもう一つ私が危惧しているのが、貴町にある志津川高校の存続であります。過疎化と少子化が進む中で、生徒数が減少傾向にあるかと存じます。同校が永続的に存続する手助けとしても、気仙沼線の鉄路復旧が望ましいと私は考えております。
 志津川高校は言うまでもなく、南三陸町だけの学校ではありません。気仙沼市の高校生が通う事も出来ます。同校に対し気仙沼に住む中学生方に入校を誘致していく事が、志津川高校の存続に繋がると考察致しております。
 しかしながら気仙沼の生徒さん方から見た場合、本吉響高校とどちらを志望するかで悩まれるのが現状かと思われます。もちろん様々な面で響高校との差別化を計り、志津川高校の魅力を引き出していく事も重要かと存じます。しかしながらその志望判断を生徒さんが為さる場合に、重要な判断材料の一つとなってくるのが、交通機関の在り方ではないでしょうか。今のBRTの本数が永続的である旨をJRが確約するならば、まだこの先も気仙沼の生徒さん方を取り込める余地はあると思います。しかしながらJRが現状の本数維持を恒久的に確約する事こそ、鉄路復旧以上に困難な事柄だと推察致します。そして本数が削減されたならば、先に述べた通りBRTのメリットはほとんど失われてしまいます。残念な事にそれが現実となってしまったら、果たして生徒さん方はBRTというバスと鉄道とで、一体どちらの方が志津川高校に通いやすい交通手段であると判断を下されるでしょうか。BRTと列車では、気仙沼の生徒さん方は一体、どちらが志津川に対して近いというイメージを持たれるのでしょうか。先に挙げた鉄路のメリットの観点からも、これが何を示すかのかが、ご判断頂けるのではないかと考えております。

 以上の点が、私が「南三陸町に於いては全線鉄路復旧の方が、貴町の将来にとって有益となるのではないか」と考える所以であります。要約させて頂くとするならば、
① BRTは本数削減が容易である事
② 現状の利用者数が続くようならば、将来本数削減が行われる可能性が非常に高い事
③ ②によってBRTのメリットが失われた時、「鉄道が良かったと悔恨を残す日が来るかも しれないという事」
の3点をお伝えさせて頂きたかったのです。

 しかしながら鉄道復旧への道が険しいのも、また事実であります。先の会議にて国からは気仙沼線の鉄路復旧に対する支援が否定的な旨が表明され、とても残念でありました。ですがまだ可能性が潰えた訳ではない事も、揺るぎ無い事実でございます。
 これは先日関係機関にもメールさせて頂いたのですが、例えば「上下分離式による鉄路復旧は可能ではあるまいか」という趣旨の内容を送信させて頂きました。上下分離式とは「上(運行)をJRが担い、下(線路・路盤)は自治体が保有・管理する」という方式です。JRは300億の負担は表明しております。問題は400億の移設費用をどのように捻出するかです。移設部分を全て上下分離式とすれば、路盤は自治体の管理下に置かれます。そうなればこの事業は『まちづくりの一環』となりますから、「復興交付金の対象になるのではあるまいか」と思案した次第です。もちろん仮にそうなれば、貴町は鉄道復旧に対して多少の負担を強いられる事になるだろうと思います。何れにしろ現状の国のスタンスでは鉄路復旧の決断は、貴町の財政に負担を掛ける形となってしまう事は明白です。故に私はBRTの今後の見通しを提示させて頂いた上で、貴町にとって本当に気仙沼線がこのままで良いのかどうかを勘案して頂きたく思い、封書をお出しした次第です。

 最後にこれは気仙沼線利用者としての発言なのですが、気仙沼線は鉄路で復旧する価値が非常に高い路線であると私は確信しています。その理由は震災前の気仙沼線の利用者数から、お分かり頂けるかと思います。震災前に約850人も居た利用者ですが、震災後には265人になりました。震災があったとは言え、いくら何でもこの減少の仕方は異常に感じます。しかしながら利用者である私からすれば、それは当然の事でした。何故なら気仙沼線の利用者の大半は、気仙沼地域から仙台へのアクセス手段として同線を利用していたからです。震災前、同区間は快速列車で2時間、普通列車でも3時間以内で行き来できました。現在のBRTという長距離移動に向かない乗り物に乗り、4時間もかけて仙台へ向かう者は少数です。故に私はこの事実を聞いた時には驚きはなく、必然的な事だと思いました。
 そしてこの事実こそが、多くの人が気仙沼線の鉄路復旧を必要としている旨を証明するものだと私は感じております。震災後、同区間を結んでいる高速バスの利用者数は増加し、繁忙期には積み残しが出ている状態です。確かに現在建設中の三陸道が全通すれば同区間は車でも2時間で行けると思われますが、石巻・松島・仙台で頻発する渋滞から、定時性を望む事は難しい事だと思います。宮城県である気仙沼市の仙台志向は、震災前の快速列車の乗車率から明らかでした。その気仙沼の視点で見た場合、仙台まで遅延なく2時間以内で行ける乗り物は、今も昔もそしてこれからも、この気仙沼線しか存在しないのです。気仙沼市が一歩抜きん出て鉄路復旧を求めている背景には、ここにあると私は考察致しております。

 故に私はそういった現状を知っているからこそ、気仙沼線は鉄道復旧しても廃止になる事はまず無いと考えています。仙台と気仙沼が定時性に優れた速達性ある列車で結ばれている限り、需要を掘り起こす事はBRTよりも容易であるからです。同線は地域輸送のみならず長距離輸送も主体として、その役割を担ってきました。これが気仙沼線が持つ特性であり、同線の強みでもあります。赤字路線に財を投げ打つ事に懐疑的な意見はよく耳にしますが私はこの事実を知っているからこそ、同路線については費用を賭けてでも復旧させる意味がある鉄道だと強く思っています。

 そしてこの強みは必ず、貴町の利益にも成り得るはずです。南三陸町といったら、何と言っても観光資源の宝庫です。気仙沼まで線路で繋がれば、JRも仙台から直接、志津川・歌津・気仙沼方面へと観光列車を運転しやすくなります。貴町がそこでJRと連携したツアーでも組めば、その効果は現在の観光BRTとは比べ物にならない程の恩恵をもたらす事は間違いありません。

 加えてもう一点だけ、JR輸送人員一覧の陸羽東線と釜石線をご覧下さい。ここで注目して頂きたいのが、両線に於ける2013年度の輸送人員と旅客運輸収入です。見てお分かりの通り、陸羽東線の方が輸送人員が多いのに、釜石線の方が旅客運輸収入が多くなっております。この理由は陸羽東線は小牛田~古川間の短距離利用者が多く、かつ定期券の利用者が多いためと私は推察しています。逆に釜石線は盛岡・新花巻から遠野・釜石間の長距離輸送を担っており、かつ乗車券で乗車する観光客も多いためと考察しています。震災前の気仙沼線は、明らかに後者でありました。今の気仙沼線の旅客運輸収入は悲惨なものですが、震災前の旅客運輸収入は恐らく釜石線と同等であったと私は見ています。赤字路線であった事は否めませんが、決してJRにとっては積極的に廃止したい程の赤字路線でもなかったと言えるのではないでしょうか。その答えは、昨年2月にJR側が発言した「赤字路線だが守りたい」という言葉にも見え隠れしていると私は信じております。

 国は復興創生期間というものを表明しておりますが、まだまだ貴町も含めあらゆる被災自治体は嵩上げの創生すら完了していないのが現状でございます。そのような厳しい中で、町外の者が鉄路復旧に向けた提言を長々と申し上げてしまい、大変失礼致しました。私個人としてはJR主体による鉄路復旧を希望しておりますが、まずは貴町の今後のまちづくりに合わせて、財政状況等も加味しがら勘案されていくのが肝要かと存じております。この封書が何らかの形で今後の貴町の復興に寄与するならば、それほど幸せな事はございません。今後とも微力ながら、応援させて頂ければ嬉しく思っております。

どうも有難うございました。
                               平成27年6月12日

特別編⑥-1:気仙沼線復旧団体、南三陸町にて設立                                   ~未来を変えるために~

まずは同町の町民方に、私は謝罪せねばなりません。申し訳ありませんでした。

 2月28日(日)、私が見限ってしまっていたこの町で
『JR大船渡線・気仙沼線全線の鉄路での復旧を早期に実現する南三陸の会』が設立され、その総会が執り行われました。


 個人として嬉しかった旨と鉄路の可能性が再び高くなった事実を、このブログを借りて記したく思います。

 もちろん設立したからといって、直ちに現状が変わる訳ではありません。ですが『鉄路を残すんだ!!』という想いの結集が南三陸町行政の方針転換へ繋がれば、未来は大きく変わると私は確信しています。利用者として応援させて頂ければ、幸いに思っている所存です。

 この事実を受け今回、私は以前に志津川(南三陸町役場)へ郵送した『気仙沼線に関する意見書』の公表をしたく思います。志津川には個人情報を明記して提出したものでしたので、少し悩みました。ですが役場ではなく住民がこういった運動をすると聞いた以上、気仙沼線復旧を望む私には道は一つしかないと思った次第です。

 もしこの文章が多数の人々に理解され、気仙沼線の全線鉄路復旧の協力へと繋がってくれるならば、これほど嬉しい事はありません。これからも微力ながら、出来る事を見つけていきたいと思っております。

─特別編⑥-2へ続きます(南三陸町への意見書内容)─

なお公表に当たり、一部文章の削除・添削を行っております。(個人情報の削除等)
ご了承頂ければと思います。

・・・ちなみに私は著作権にはうるさくありません。
このブログの文面は基本フリーなので、ご安心を(笑)

●3月7日,追伸●
下記サイトにて、気仙沼線復旧に向けた署名運動を行っているとの事です。
もしお時間がりましたら、よろしくお願い致します。

気仙沼線の署名運動に関する事項
なお、リンク切れはご了承下さい。

未来③:気仙沼線沿線自治体首長会議Part3 導かれた未来


最初に、悲しい予言を致しましょう。不快な内容をお許し下さい。
さよなら、南三陸町。もう蘇る事はない・・・
上の写真の駅のように荒廃し、50年後には気仙沼市に吸収合併され消滅するだろう。


12月25日(金)、三回目の気仙沼線沿線自治体首長会議が開かれました。その後の報道を見て私が感じた内容を三点、挙げさせて頂きます。

最初に会議の要約をご覧下さい。(リンク切れだったら御免なさいね・・・)
気仙沼市の公式発表です。
    ↓
気仙沼市の公式発表


<私が受けた印象>

●一点目
まず、『気仙沼市はよく踏み留まりました!!』
賞賛したいと思います。

 
 正直ここでBRTを容認されていたら、最悪でした。それほど今の気仙沼線は私から見て、使えなさ過ぎる代物だからです。また民意も、鉄路復旧の方が多数派でありました。それを印象付ける証明として、先日11月8日に気仙沼市で「鉄路復旧を求める集会」があった事を挙げさせて頂きましょう。これには菅原市長も参加しており、市としては「鉄路が基本」という立場を強調する形となりました。本当に嬉しかったです。私は気仙沼市のこの判断を強く、支持したいと考えております。

●二点目
『鉄路復旧は、南三陸町が方針転換しない限り無理。』

 次に見て思ったのは、ここの酷過ぎる消極姿勢・・・。このブログは「気仙沼線の必要性を訴えるブログ」です。ですので率直に言わせて貰いますよ。

『馬鹿じゃねえのか、志津川は!!』


・・・まだ大船渡や高田みたいに「BRTはやむを得ない」のような対応ならば、こんなに怒らなかったのに。私は今まで同地域の事も考えた上で、記事を書いてきたつもりです。なのに「鉄路復旧は無理です!!」って堂々と発言ですか。馬鹿にしてるのか!!JRよりも酷いですね、これは!!


先に言いましょう。鉄路が特に必要なのは気仙沼ではありません。
絶対に、志津川の方です!!

三点目、行きましょうか。


●三点目
『志津川は終わりだな、もう・・・』

理由は2つあります。
1つ目としては、前回の記事(未来②:南三陸町よ、本当にそれで良いのか?)で示したものです。志津川の人達は高校も気仙沼、年輩の人だって通院を気仙沼に頼る人が多いのが実情です。皆さんは、志津川~気仙沼間の距離をご存知ですか?約35キロあるんですよ。

仙台からだと北で鹿島台、南で大河原、東で野蒜、西だと奥新川へ行くのと同じ距離なのですよ。
東京の人向けだと、品川から大宮の距離になります。

毎日この距離を「路線バスで行け!!」と言われたら・・・、どう思われるでしょうか?
少なくとも、私はお断りです。絶対、嫌だ。

こうして人が出て行き、過疎化が進むのだ。役場の人達は、そんな事も分からないのだろうか?

2つ目の理由、行きましょう。

「三陸道が、三陸道が・・・」どっかの町長は、こんな事ばかり語っていますね。
・・・ホント、馬鹿なんだねぇ。
「宮城県の地理が分かってねーんじゃないか?」と言いたい。

石巻に行くのは、間違いなく便利になるだろう。これは疑い無い。
では仙台へは1時間で行けるのでしょうか。まぁ深夜とかなら、行けるのでしょうね。

三陸道で常に1時間で仙台へ行けるなんて、絶対無理だ!!


石巻で渋滞に引っ掛り、松島からはトロトロ運転、仙台市内に入ると車が動かない。これが現実なのだ。レンタカー借りてくる観光客なんて、混雑する時期に来るのがお約束ですよね。「・・・道路混んでてさ、疲れちゃった。南三陸町さ、遠くて分かんないよねぇ~。」こう思われたら、二度とこの人はこの町へ来ないでしょうね。

もちろん町民も仙台へ行く度に、当然こう思うでしょうね。「三陸道出来たけどさ、渋滞だらけであんまり前と変わんないよね・・・」と。さあ南三陸町にはもう、利便性を高めるだけの術はありません。可愛そうに、そんな不便な町の未来なんて決まっているようなものです。

定時性・速達性に優れた気仙沼線があれば、こんな事にはならなかったのにねぇ・・・。
仙石線が全線復旧した時に「これで渋滞に苛まされる事無く、仙台へ行ける」って報道されていたのですが。もしかしてニュースも見てないんでしょうか?

その点、気仙沼市はよく分かっている。だからこそ、私は支持している次第なのだ。そして例え気仙沼線が鉄路で直らなくとも、気仙沼の場合は旧本吉町は除いて、これを解決出来る術がある。それが、大船渡線の鉄路であるのだ!!

具体例を挙げよう。私は年内、後一回程JRを利用する。夕方迄に小牛田へ出なければならないからだ。昔は気仙沼線の普通列車で2時間で行けたのだが、今は最速でも2時間40分掛かってしまっている。ところが・・・気仙沼駅から9時14分の大船渡線で一ノ関迄出て、そこから10時42分の東北本線に乗り換えると、小牛田には11時28分に着いてしまうのである。

つまり大船渡線の方が、BRTを使うより25分以上も速く着いてしまうのだ!!


因みに今回は泣く泣く気仙沼線経由よりも高い運賃を払って、大船渡線経由で行く事にした。前谷地まで延伸されても、乗り継ぎで30分以上も待つようでは正直、全く使えないのだ。何が利便性を高めただか・・・。


震災前までの私は大船渡線の線形の悪さから、速達性は望めぬものと考えていた。しかし気仙沼⇔一ノ関間の所要時間は普通列車で1時間20~30分、平行している特急バスが平均1時間15分である事実を鑑みると充分に健闘していると私は思う。上の具体例、即ち気仙沼⇔小牛田間が大船渡線経由の普通列車で2時間14分という事実は、気仙沼市が掲げる「仙台へのアクセス」という重要な解決への糸口なのだ!!

・・・まだ気仙沼線の結論が出ていないので、この記述はここまでとしたい。だがもしこれが実現されたら、私は気仙沼線のBRT本復旧を容認するだろう。使わなくなる路線に、あれこれ意見は出来ないのだから。そしてこの未来に、私は大きく期待したいと思う。それが気仙沼市が結論を持ち越しした意義になると信じている・・・。


蛇足だが、南三陸町に依存する気仙沼市民は正直少ない。この事実からも、どちらが気仙沼線を必要としているか。私は答えは火を見るより明らかだと思う。


お分かり頂けただろうか?気仙沼市には鉄路がある。気仙沼線が担ってきた役割を、大船渡線に任せられる可能性がある。鉄路が無くなる何処かの町とは全然違うのだ。だから本当は南三陸町の方が「鉄路を残せ!!」と、気仙沼市より騒がないといけないのに・・・。


ごめん、もう一回だけ。本当に、馬鹿だね。

南三陸町よ、まだ間に合うぞ。
誰も住まなくなっていく街づくりを優先して、滅びの道を辿るのか?

・・・近くに住む者として、同町の未来を最後まで見届ける事にします。


来年も、よろしくお願い致します。皆様、良いお年をお迎え下さいませ。
                                    筆者

未来②:南三陸町よ、本当にそれで良いのか?


願わくば、この事例がフィクションとなる事を祈る。

平成38年─冬─

 気仙沼線が廃線となり、BRTになってから10年。
 私が子供の時に見ていた更地の光景はすっかり影を潜め、目に見えて復興を感じられるようになった。撤去するしないで揉めていた防災庁舎は、今や復興記念公園とセットで観光スポットとなっている。当時の行政の判断は、どうやら正しかったようだ。

 しかし、全てがそうだとは言えない。私は残念だが、この春の仙台への大学進学を機に、もうこんな不便な町へ居を構える事は無いだろう。高校生活の三年間が、その想いを強めたのだ。

 5年前、勉強嫌いだった私。そんな自分は近くの志津川高校への通学を考えていた。ところがその年、少子化による生徒数減少から、閉校の報道が為されたのだ。その危機は翌年に何とか回避されたのだが、当時の私は焦ったものだ。公立の普通科志望なら、残りは町外を出て本吉の響高校か気仙沼高校位しか選択はない。近いから志津川高校にするつもりだったのだが・・・。仕方ないので気高を第一志望とし、落ちたら二次募集で響に行くというプランで勉強を頑張る事にした。父は気高出身だったので、随分喜ばれた事を今でも覚えている。

 そして3年前、私は気高に奇跡的に合格した。あの時の喜びは、大学の推薦合格よりも嬉しかった事を今でも覚えている。しかし私にとってそれは、これから始まる毎日地獄の始まりでもあったのであった。

 毎朝、6時30分に志津川駅に立つ私。そこから不動の沢まで90分間、バスに揺られて通う。寝坊した時は43分のBRTに乗る事もあったが、遅刻が嫌いな私は眠いのを我慢して、いつも31分のBRTに乗っていた。座れれば問題は無いのだが、座れない時は最悪だ。特に本吉を過ぎると、常に車内はひどい状態となる。中3の修学旅行で経験した満員電車を、ここで味わえるとは思わなかったものだ。そんな状態だから、座れても狭いバスでは全然ゆっくりも出来ない。最初の頃は来るだけで疲れていたので、1時間目は全然集中出来なかったものだ。今でさえ志津川高校を見る度に、「何で閉校なんて検討したんだ!」と恨めしく思ってしまっている。だがらこそ、同じ不満を持っていたであろう父にその旨を話した。この辛さを共有しようと考えたのである。だが、父からは信じられない返答が帰ってきたのであった・・・。

 父の時代、即ち列車の時代はまず1時間で不動の沢まで行けたそうだ。なので毎日、7時06分の列車で十分に間に合っていたそうである。しかも志津川からだと100%座れていたそうだ。私同様、朝の苦手な父は列車のボックス席でパンを食べ、その後はのんびり寝ていくのが日課であったと言う。今の自分とは大違いである!!何だかイライラしてきた私はとっさに「食べ物なんて食べると、トイレ行きたくなっちゃうでしょ!?」と返したが、父からは「いや、電車にトイレあったし・・・」と真顔で返されてしまった。

『誰だ、BRTで良いと言ったのは!!』


 過去に腹を立てた瞬間であった。

 だがそれでも帰りはまだマシだった。帰宅の際は、だいたい16時02分か32分か17時02分のBRTで帰っていたのだが、父の時代は15時54分の快速が行くと次は17時43分まで電車が無かったらしい。唯一無意味に、私は父に心の中でどや顔をしていた事は今でも秘密だ。

 だがそれも2年前、急に終わった。ダイヤ改正で、16時32分も17時02分も廃止になったのだ。JRは利用者が少ない為とか言っていたが、少なくとも貸切状態って訳では無かったのに。今でも私は、この削減理由が全然理解出来ていない。

 こうして2年生からは16時02分に乗れないと、次は18時02分のバスまで無い状態となった。駅への下り坂を走った事は、一体何度あっただろうか。そしてそこから75~85分も揺られて、志津川へ帰る。気になって調べてみたら、列車の時代は15時54分の快速に乗れば、志津川までは40分だったそうだ。昔を知った私にとって、こんな残念な事は無いと思う。

 志津川高校は20年前に比べて、生徒数が3分の2に減ったそうだ。だから閉校の話が出るのだろう。お隣の響高校も、あまり良い話は聞かない。正直、自分が親として子供を育ててる間に、この辺りの高校は気高と向洋位しか残って無いんじゃないかと考えてしまうのが現実だ。志津川の人達は、強制的に気仙沼の高校へ行く事になる。それを考えてしまえば、悪いが私はとてもこの町には住めない。将来、自分の子供に通学で大変な想いをさせたくはないのだ。

 同じ通学でも、もし私も列車で気高に通えていれば、そうは思わなかったかも知れない。だが過去はBRTを選び、それが私が帰らない理由へとなった。平成の世が終わる頃、ここはどうなっているのか。それはまだ、誰も知らない・・・。


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