このブログは廃線の可能性が示唆されている気仙沼線について、鉄路による復旧を心の底から願っているある利用者が、存続を訴えていくブログです。 利用者として見てきた私の視点から、気仙沼線の必要性について記していきます。 少しでも鉄路による復旧の理解に繋がれば、嬉しく思います。 管理者
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この愚かしい問題の本質は、国の鉄道の災害復旧制度の欠陥(黒字鉄道会社にはお金を出さない)にあることはご存じのはず。その点を研究し、発信しましょう、ブログでも、自治体にも国にも鉄道会社にも(無責任ですみません)
ブログでも指摘させて頂きましたが、私は政府の愚考にはもはや呆れきっている次第です。この国の国民ですのでこれから先も最低限の義務は果たしますが、それ以上の事は絶対にしてやりません。その位、最低な事を国はしていると私は確信している次第です。
『JRという黒字企業には支援金は出さない』
震災後に初めて知ったこの制度に疑問を持っていた私。「これはおかしい」という事で今でも様々な活動が為されていますが・・・、この時点で既におかしいです!!本来ならば既に鉄道軌道法は改正されていて、政府がJRに支援出来る状態になっていないといけません。乃至は「特例処置で〇〇億までは支援します」という形になっていないといけないのです。国が「JRに公的支援を出来るかどうか、今議論しています」と言って1年4ヶ月も我々を待たせるとは、そういう事だと私は期待していました。何故ならそれ以前から、ずっ~と国に「支援をお願い致します」と自治体側が陳情していたからです。
それなのに国は一切何もせず。しかも理由が「黒字企業には支援出来ない」から。『国の連中って、本当に最低な奴らしかいないんだな・・・』と本気で思いました。そんな事は平成25年2月に「JRが公的支援が必要」と語った時からみんな知っています。だから「このふざけた状態を何とか出来ませんか?」という事で、始まった1年4ヶ月ではなかったのではないでしょうか。なのに「やっぱ出来ませ~ん、てへっ!」って。・・・本当に最悪ですね。まるで幼稚園児みたいな解答です。支援出来ない新たな理由が見つかる、乃至は100億しか支援出来ないとか、上下分離式なら支援可能とか。そのような答えならまだ理解しなくもなかったのですが。『あ~、こいつら気仙沼線の為にお金出したくないんだな』とよくよく思いました。気仙沼・大船渡線復旧を遅らせたのは間違いなく国であり、幼児思考しか出来ない政府の人間共のせいだと私は強く感じています。この国の主役は国民のはず何ですがね・・・。国民へ寄り添えない民主主義等、全く不要です。
おかげで気仙沼線よりも利用者が少ない三陸鉄道は全線復旧して、気仙沼線は残念な事へとなりそうです。昔、北海道で松前線の方が利用者が多いのに、利用者の少ない江差線の末端区間の方が存続して松前線の方が全線廃止になるという馬鹿げた現象がありました。きっとあの頃と、何も変わっていないんだと思います。「おかしいと思ったら、直す」、「期待されているなら、極力期待には答える」、「期待に添えないならば謝罪し、期待に近い代案を相手に示す」そんな基本も分らない連中のために何かしようとは思いません。
私は気仙沼線を通して、国がいかに残念なのかを思い知りました。日本国民として、この国がどうなっていくのか見ていってやろうと思っております。
長々と失礼しました、有難うございました。
saiwaityouandkawabataさま、あなたのブログをすべて読んだわけではありませんが、少なくともこの記事は読みました。文面から悔しさが強く感じられました。私だって歯がゆいです。
私は「西日本」在住なので志津川などに訪問する機会がなかなか取れません。第一、「志津川」という地域名自体このブログで知りましたし、現在はJR時刻表(市販されている厚くて大きい本です)の鉄道駅にその名を残しているし、(ネット上のgoogle地図ではありますが)、地図でも気仙沼線の駅として「志津川」の名が出ていました。鉄道がなくなったら私のように遠方に居る者は「志津川」を知ることは出来なくなるでしょう。
でも、鉄道があれば行ける可能性は高まります(鉄道がないと行ける可能性が極端に減る)し、沿線の地域名や存在を認識しやすくなります。
実は、10年前八戸から仙台まで三陸経由で直通する三陸鉄道の臨時列車で気仙沼線に乗りました。それが「私にとって最後の気仙沼線乗車」にならないようになってほしいものです。
気仙沼・大船渡線が(JR在来線鉄道規格の)鉄道で残りさえすれば(三陸鉄道などJRとは別の会社でも可)、JR東の豪華周遊列車も通れるかもしれないし、震災からの復興にも一役買えるかもしれないのに。
ところで、
私としても、別の観点や東日本大震災を含め、全体的な観点で、国に対して以下のような内容を意見しました。(私の意見だけで世の中変わるわけではないだろうけどそれでも意見はしました)↓
交通政策の基本的なあり方として「自動車交通中心から鉄軌道の整備活用と路線バスの活用」へ方向転換してほしい。理由は、今後高齢化や経済格差で自家用車類を扱えない交通弱者が多くなる恐れがあり、「全国的な移動」、そして日常生活上の移動範囲での「交通権・移動の自由」を保障してほしいから。
また、自動車交通に依存する交通体系だと同じ物・人を運ぶにも多くのエネルギーが要るため、国内経済が為替や原油価格・国際的紛争等の国際情勢に影響され易くなる。平成20年(2008年)の原油価格の高騰や乱高下のように。そんな影響を最小限にし、エネルギー面からも国家安全保障を確保してほしい
と。
また、鉄道の価値を輸送量や採算性ばかりで狭く見るような考え方や会計も見直さないといけないといつも思います。私が考え切れるのはこの程度ですが、少しでも気仙沼・大船渡線をはじめ、鉄道の再興につながってほしい
私もこのブログを始めてから、貴方様と同じ考えに至れた部分が沢山ありました。特に交通政策の在り方については、車社会に頼るのみでは絶対に地方は駄目になると確信している次第です。
先日、祖父宅にて気仙沼線の話をしました。その際に話題となったのが、気仙沼から仙台の病院へ年に2・3度通院しているという祖母の友人の話でした。その方は確かに普段は夫や息子の車で移動されるのですが、仙台へ行く時は公共交通機関を利用されるとの事でした。「昔は気仙沼線で負担無く行けたのに、今はバスしかない。やはり鉄道が恋しいし、将来鉄道が無いせいで今の私のような想いはさせたくない。」と語っていたそうです。このような話を聞くと、『やはり鉄路しかないのではないか?』と私なんかは本気で思ってしまいます。高齢化社会を迎える今だからこそ、高齢者に最も負担をかけない鉄道が必要とされるのではないでしょうか?高齢者が車のみに頼る社会を創らない為にも、必要な事だと私も考えております。
もちろん鉄路復旧に当たっては地理的な要素や、採算性の問題について議論する必要はあるでしょう。しかしながら『採算性だけ』で物事を片付けるのは、余りにも愚か過ぎると私も思っております。只見線や、鉄路復旧を断念した大船渡線、西日本で言う三江線も全てそうです。議論の主体は採算性ばかりで、それ以外の要素は二の次三の次になってしまっている。こんなんでは正直、馬鹿すぎて話しになりません。お金は確かに大切ですが、それだけに捉われているようでは終わりです。『何故、地元が鉄路を必要としているのか』、『鉄路が無くなると、この地域にはどんな悪影響があるのか』、『そもそも鉄路の存在が、一体地元にどんな恩恵を与えていたのか』等。挙げていけば霧はありませんが、こういった事全てが採算性問題と同じ土俵にて議論されなければならないと私は考えています。っていうかそれが、本来の姿だと私は思います。それを無視して「どうせ誰も乗らないんだろwww」とか「廃線乙」なんて言われると、本当に腹が立ってしょうがありません。そして国の連中もこんな安直な考えを持つ奴等ばかりなんだなと思うと、とても残念に思えてきます。そんなのにこの国の将来を任せるのかと思うと、正直憂鬱です。
話しがそれ、申し訳ありません。私も西日本から様と同じく微々な事しか出来ませんが、最後まで希望だけは捨てずに出来る事をしたいと思っております。
有難うございました。
PS・私は大阪より西へ行った事は無いのですが、何か問題が起こる前に芸備線や三江線沿線を訪れようかと思います。同じく、時刻表でその地域を生まれて初めて知った者として・・・
長文失礼します。
私自身、気仙沼線を使う人間ではないですが気仙沼線が復興して欲しいという気持ちのもと書き込みさせていただきます。
管理人さんや気仙沼線沿線の方々の気持ちを無視した発言に見える部分もあるかもしれませんが復興を願う気持ちは一緒ということだけはわかっていただければと思います。
南三陸の方々は「鉄路復旧を求める集会」を開くなど、鉄路を残そうと頑張っておられるかと思います。
しかし、JR東日本は国の支援を得られないので復興断念を提言しているのです。
求める集会など後手を踏んでいるとしか思えません。
復興をしなければ沿線が消滅してしまうというならば、県・市・市民が何度でも公私問わずJR東日本本社へ赴き鉄道を復帰させてくれと訴えるしかないと思います。
これをしなければ市民は諦めていると他地域の人に感じられてしまうのではないでしょうか。
そして、ある程度JR東日本が金は出すと言っているので、鉄路を残す目的を第一として、現状維持でも良いので復興してくれというのが現実的ではないでしょうか。
(今現在、JRが鉄路を復帰させる気持ちがあるかどうかはわかりませんが・・・)
また、国が黒字会社には支援しないと言っている根拠の鉄道軌道整備法では明確に黒字会社とは明記されていないので裁判所に訴える等もできたのではないでしょうか。
失礼ながら他の地域に住んでいる私から見ると市民は若干諦めているように感じられます。
でも以前乗った気仙沼線の景色は素晴らしいものでした。
未来にもぜひ残していってほしいです。
絶対に諦めないで欲しいです。
鉄路復旧への住民意志については、全国紙だけで見るとサンラータンメン様のような印象を受け取る可能性があると私も感じておりました。しかし実情とは正直、差があるように私は思っております。特に慰安婦問題で失態をおかした某紙の記事は、私にとってBRTへの誘導を誘っているかのようで腹立たしい限りでした。この件を通して、二度と信用しない最低な新聞社として私の中では刻まれた次第です。最も実情に近い新聞としては河北新報が良いかと思いますので、よろしければインターネット等を通じてご覧頂ければ嬉しく思っております。
しかしながら「只見線のように盛り上がっているのか」と問われると、それは残念ながら否定せざる得ない状況にあると考えています。何故ならBRTの方が鉄道よりも便利になったと感じている利用者が存在しているからです。私は長距離利用が主流のためBRTで便が良くなったと感じた事は一度もありませんが、短距離に限って言えば運転本数は昔の2~3倍に増える形となりました。鉄道に戻せば当然、本数は昔と同数へと減ります。そうなれば今恩恵を受けている人達は当然、鉄路復旧には消極的になるでしょう。これが鉄路復旧に対する世論の盛り上がりを削ぐ大きな要因の一つになっていると、私は強く感じております。
もちろん、BRTは鉄道と違って減便が簡単です。ですが「今さえ良ければ、それでいいんだ」と考える人達は、世の中に沢山います。復旧の決まった山田線でさえ、「BRTにすればJRのままだから、運賃は安くすんだのに・・・」と不満の声を出す人がいらっしゃる。それが事実なのです。そしてこのような考えを持った人々に鉄路の必要性を説いていく事とは、本当に難しいとブログを始めてから痛感した次第でありました。
さて沿線の消滅についてですが・・・、私は本気で志津川は駄目になると思っています。それはブログで指摘した通りです。そしてこの事は既に、志津川(南三陸町)にも手紙で出しました。ですが、町民でも無い私が出来るのは残念ながらここまでです。私が町民ならば、おそらく役場へと押掛けていたでしょう。町内に親戚が居れば、相談もしていたと思います。ですが気仙沼と違い、志津川には私は縁がありません。もちろん「気仙沼が態度を保留しているのに、早々に受け入れを表明するとはどういうつもりだ!」と抗議はしましたが、逆に言えばよそ者である私にはこれ位しか出来ませんでした。本当に・・・、残念でなりません。
鉄路の復旧について、私は気付いた事があります。もちろん、復旧に当たっては世論の盛り上がりが必要でしょう。ですが最も大切なのは『お上の判断』である事が、この一連を通して私が気付いた事です。世論とはあくまでも、その判断材料に過ぎません。例えば去年の安保法案ではどこのメディアも国民の半数以上が時期早々と言っていたのに、可決される結果となりました。結局我々がいくら意見を主張したとしても、『お上の判断』に沿わないのならば参考程度に留められる程度なのでしょう。気仙沼線もこれに同じく、「400億も赤字路線に出せるか!!」の一言でこうなっているんだと強く感じています。こうして震災直後から相談し国会でも取り上げられた民意は、参考程度としてバッサリと切り捨てられました。気仙沼線以上に世論が盛り上がっている只見線の復旧が全く進んでいない事実が、その体制の証明になっていると私は思っています。JRは400億が何とかならない限り、絶対に鉄路で復旧しません。岩泉線の先例から、それは誰もが知っています。「国は被災路線を見捨てたいんだな」と解釈せざる得ない、それが今の状況です。
そのつもりならば、鉄路復旧は国を無視した形で考える必要があります。『お上』が民意に背くならば、それを前提に思案するしかないでしょう。その方法の一つとして、私も裁判という話はアリなのではないかと考えております。もちろん現状復旧による第三セクター移管でも良いですし、上下分離式による鉄路復旧の模索もあるでしょう。ですがそれらは全て、自治体という行政の力を借りない限り実現する事は出来ません。故に私は、志津川の態度には本当に呆れてしまいました。今ではなく未来を見なければならない行政側がこんな態度では、話にならないのです。例え町民の半数以上が鉄路が望ましいと言っても、行政が「BRTで良いって言ってる奴も居るから、どうでもいい」と思えば終わりです。だから私は、そんな自治体は滅んでいくしかないと思った訳です。民意を無視して、未来も考えず、物臭に鉄路への道を模索しようともしない。残念ですが、こんな自治体は終わりです。そしてこれは行政側の意識改革がなされない限り、きっと変わる事はないのでしょう。ここまでくれば最早、よそ者である私にはどうしようも無い事です。この先、どうなっていくのでしょうね。
今、気仙沼市とJRが最後の協議に入っています。只の利用者である私は、ここでの結果を待つしかありません。どっかの町と違い、鉄路の必要性がよく分っている自治体です。鉄路が絶望的な中で、それでもBRT本復旧にストップをかけた自治体です。今後も同市を支え、気仙沼線の未来を考えていきたいと思っています。
長くなりました、有難うございました。
この愚かしい問題の本質は、国の鉄道の災害復旧制度の欠陥(黒字鉄道会社にはお金を出さない)にあることはご存じのはず。その点を研究し、発信しましょう、ブログでも、自治体にも国にも鉄道会社にも(無責任ですみません)
ブログでも指摘させて頂きましたが、私は政府の愚考にはもはや呆れきっている次第です。この国の国民ですのでこれから先も最低限の義務は果たしますが、それ以上の事は絶対にしてやりません。その位、最低な事を国はしていると私は確信している次第です。
『JRという黒字企業には支援金は出さない』
震災後に初めて知ったこの制度に疑問を持っていた私。「これはおかしい」という事で今でも様々な活動が為されていますが・・・、この時点で既におかしいです!!本来ならば既に鉄道軌道法は改正されていて、政府がJRに支援出来る状態になっていないといけません。乃至は「特例処置で〇〇億までは支援します」という形になっていないといけないのです。国が「JRに公的支援を出来るかどうか、今議論しています」と言って1年4ヶ月も我々を待たせるとは、そういう事だと私は期待していました。何故ならそれ以前から、ずっ~と国に「支援をお願い致します」と自治体側が陳情していたからです。
それなのに国は一切何もせず。しかも理由が「黒字企業には支援出来ない」から。『国の連中って、本当に最低な奴らしかいないんだな・・・』と本気で思いました。そんな事は平成25年2月に「JRが公的支援が必要」と語った時からみんな知っています。だから「このふざけた状態を何とか出来ませんか?」という事で、始まった1年4ヶ月ではなかったのではないでしょうか。なのに「やっぱ出来ませ~ん、てへっ!」って。・・・本当に最悪ですね。まるで幼稚園児みたいな解答です。支援出来ない新たな理由が見つかる、乃至は100億しか支援出来ないとか、上下分離式なら支援可能とか。そのような答えならまだ理解しなくもなかったのですが。『あ~、こいつら気仙沼線の為にお金出したくないんだな』とよくよく思いました。気仙沼・大船渡線復旧を遅らせたのは間違いなく国であり、幼児思考しか出来ない政府の人間共のせいだと私は強く感じています。この国の主役は国民のはず何ですがね・・・。国民へ寄り添えない民主主義等、全く不要です。
おかげで気仙沼線よりも利用者が少ない三陸鉄道は全線復旧して、気仙沼線は残念な事へとなりそうです。昔、北海道で松前線の方が利用者が多いのに、利用者の少ない江差線の末端区間の方が存続して松前線の方が全線廃止になるという馬鹿げた現象がありました。きっとあの頃と、何も変わっていないんだと思います。「おかしいと思ったら、直す」、「期待されているなら、極力期待には答える」、「期待に添えないならば謝罪し、期待に近い代案を相手に示す」そんな基本も分らない連中のために何かしようとは思いません。
私は気仙沼線を通して、国がいかに残念なのかを思い知りました。日本国民として、この国がどうなっていくのか見ていってやろうと思っております。
長々と失礼しました、有難うございました。
saiwaityouandkawabataさま、あなたのブログをすべて読んだわけではありませんが、少なくともこの記事は読みました。文面から悔しさが強く感じられました。私だって歯がゆいです。
私は「西日本」在住なので志津川などに訪問する機会がなかなか取れません。第一、「志津川」という地域名自体このブログで知りましたし、現在はJR時刻表(市販されている厚くて大きい本です)の鉄道駅にその名を残しているし、(ネット上のgoogle地図ではありますが)、地図でも気仙沼線の駅として「志津川」の名が出ていました。鉄道がなくなったら私のように遠方に居る者は「志津川」を知ることは出来なくなるでしょう。
でも、鉄道があれば行ける可能性は高まります(鉄道がないと行ける可能性が極端に減る)し、沿線の地域名や存在を認識しやすくなります。
実は、10年前八戸から仙台まで三陸経由で直通する三陸鉄道の臨時列車で気仙沼線に乗りました。それが「私にとって最後の気仙沼線乗車」にならないようになってほしいものです。
気仙沼・大船渡線が(JR在来線鉄道規格の)鉄道で残りさえすれば(三陸鉄道などJRとは別の会社でも可)、JR東の豪華周遊列車も通れるかもしれないし、震災からの復興にも一役買えるかもしれないのに。
ところで、
私としても、別の観点や東日本大震災を含め、全体的な観点で、国に対して以下のような内容を意見しました。(私の意見だけで世の中変わるわけではないだろうけどそれでも意見はしました)↓
交通政策の基本的なあり方として「自動車交通中心から鉄軌道の整備活用と路線バスの活用」へ方向転換してほしい。理由は、今後高齢化や経済格差で自家用車類を扱えない交通弱者が多くなる恐れがあり、「全国的な移動」、そして日常生活上の移動範囲での「交通権・移動の自由」を保障してほしいから。
また、自動車交通に依存する交通体系だと同じ物・人を運ぶにも多くのエネルギーが要るため、国内経済が為替や原油価格・国際的紛争等の国際情勢に影響され易くなる。平成20年(2008年)の原油価格の高騰や乱高下のように。そんな影響を最小限にし、エネルギー面からも国家安全保障を確保してほしい
と。
また、鉄道の価値を輸送量や採算性ばかりで狭く見るような考え方や会計も見直さないといけないといつも思います。私が考え切れるのはこの程度ですが、少しでも気仙沼・大船渡線をはじめ、鉄道の再興につながってほしい
私もこのブログを始めてから、貴方様と同じ考えに至れた部分が沢山ありました。特に交通政策の在り方については、車社会に頼るのみでは絶対に地方は駄目になると確信している次第です。
先日、祖父宅にて気仙沼線の話をしました。その際に話題となったのが、気仙沼から仙台の病院へ年に2・3度通院しているという祖母の友人の話でした。その方は確かに普段は夫や息子の車で移動されるのですが、仙台へ行く時は公共交通機関を利用されるとの事でした。「昔は気仙沼線で負担無く行けたのに、今はバスしかない。やはり鉄道が恋しいし、将来鉄道が無いせいで今の私のような想いはさせたくない。」と語っていたそうです。このような話を聞くと、『やはり鉄路しかないのではないか?』と私なんかは本気で思ってしまいます。高齢化社会を迎える今だからこそ、高齢者に最も負担をかけない鉄道が必要とされるのではないでしょうか?高齢者が車のみに頼る社会を創らない為にも、必要な事だと私も考えております。
もちろん鉄路復旧に当たっては地理的な要素や、採算性の問題について議論する必要はあるでしょう。しかしながら『採算性だけ』で物事を片付けるのは、余りにも愚か過ぎると私も思っております。只見線や、鉄路復旧を断念した大船渡線、西日本で言う三江線も全てそうです。議論の主体は採算性ばかりで、それ以外の要素は二の次三の次になってしまっている。こんなんでは正直、馬鹿すぎて話しになりません。お金は確かに大切ですが、それだけに捉われているようでは終わりです。『何故、地元が鉄路を必要としているのか』、『鉄路が無くなると、この地域にはどんな悪影響があるのか』、『そもそも鉄路の存在が、一体地元にどんな恩恵を与えていたのか』等。挙げていけば霧はありませんが、こういった事全てが採算性問題と同じ土俵にて議論されなければならないと私は考えています。っていうかそれが、本来の姿だと私は思います。それを無視して「どうせ誰も乗らないんだろwww」とか「廃線乙」なんて言われると、本当に腹が立ってしょうがありません。そして国の連中もこんな安直な考えを持つ奴等ばかりなんだなと思うと、とても残念に思えてきます。そんなのにこの国の将来を任せるのかと思うと、正直憂鬱です。
話しがそれ、申し訳ありません。私も西日本から様と同じく微々な事しか出来ませんが、最後まで希望だけは捨てずに出来る事をしたいと思っております。
有難うございました。
PS・私は大阪より西へ行った事は無いのですが、何か問題が起こる前に芸備線や三江線沿線を訪れようかと思います。同じく、時刻表でその地域を生まれて初めて知った者として・・・
長文失礼します。
私自身、気仙沼線を使う人間ではないですが気仙沼線が復興して欲しいという気持ちのもと書き込みさせていただきます。
管理人さんや気仙沼線沿線の方々の気持ちを無視した発言に見える部分もあるかもしれませんが復興を願う気持ちは一緒ということだけはわかっていただければと思います。
南三陸の方々は「鉄路復旧を求める集会」を開くなど、鉄路を残そうと頑張っておられるかと思います。
しかし、JR東日本は国の支援を得られないので復興断念を提言しているのです。
求める集会など後手を踏んでいるとしか思えません。
復興をしなければ沿線が消滅してしまうというならば、県・市・市民が何度でも公私問わずJR東日本本社へ赴き鉄道を復帰させてくれと訴えるしかないと思います。
これをしなければ市民は諦めていると他地域の人に感じられてしまうのではないでしょうか。
そして、ある程度JR東日本が金は出すと言っているので、鉄路を残す目的を第一として、現状維持でも良いので復興してくれというのが現実的ではないでしょうか。
(今現在、JRが鉄路を復帰させる気持ちがあるかどうかはわかりませんが・・・)
また、国が黒字会社には支援しないと言っている根拠の鉄道軌道整備法では明確に黒字会社とは明記されていないので裁判所に訴える等もできたのではないでしょうか。
失礼ながら他の地域に住んでいる私から見ると市民は若干諦めているように感じられます。
でも以前乗った気仙沼線の景色は素晴らしいものでした。
未来にもぜひ残していってほしいです。
絶対に諦めないで欲しいです。
鉄路復旧への住民意志については、全国紙だけで見るとサンラータンメン様のような印象を受け取る可能性があると私も感じておりました。しかし実情とは正直、差があるように私は思っております。特に慰安婦問題で失態をおかした某紙の記事は、私にとってBRTへの誘導を誘っているかのようで腹立たしい限りでした。この件を通して、二度と信用しない最低な新聞社として私の中では刻まれた次第です。最も実情に近い新聞としては河北新報が良いかと思いますので、よろしければインターネット等を通じてご覧頂ければ嬉しく思っております。
しかしながら「只見線のように盛り上がっているのか」と問われると、それは残念ながら否定せざる得ない状況にあると考えています。何故ならBRTの方が鉄道よりも便利になったと感じている利用者が存在しているからです。私は長距離利用が主流のためBRTで便が良くなったと感じた事は一度もありませんが、短距離に限って言えば運転本数は昔の2~3倍に増える形となりました。鉄道に戻せば当然、本数は昔と同数へと減ります。そうなれば今恩恵を受けている人達は当然、鉄路復旧には消極的になるでしょう。これが鉄路復旧に対する世論の盛り上がりを削ぐ大きな要因の一つになっていると、私は強く感じております。
もちろん、BRTは鉄道と違って減便が簡単です。ですが「今さえ良ければ、それでいいんだ」と考える人達は、世の中に沢山います。復旧の決まった山田線でさえ、「BRTにすればJRのままだから、運賃は安くすんだのに・・・」と不満の声を出す人がいらっしゃる。それが事実なのです。そしてこのような考えを持った人々に鉄路の必要性を説いていく事とは、本当に難しいとブログを始めてから痛感した次第でありました。
さて沿線の消滅についてですが・・・、私は本気で志津川は駄目になると思っています。それはブログで指摘した通りです。そしてこの事は既に、志津川(南三陸町)にも手紙で出しました。ですが、町民でも無い私が出来るのは残念ながらここまでです。私が町民ならば、おそらく役場へと押掛けていたでしょう。町内に親戚が居れば、相談もしていたと思います。ですが気仙沼と違い、志津川には私は縁がありません。もちろん「気仙沼が態度を保留しているのに、早々に受け入れを表明するとはどういうつもりだ!」と抗議はしましたが、逆に言えばよそ者である私にはこれ位しか出来ませんでした。本当に・・・、残念でなりません。
鉄路の復旧について、私は気付いた事があります。もちろん、復旧に当たっては世論の盛り上がりが必要でしょう。ですが最も大切なのは『お上の判断』である事が、この一連を通して私が気付いた事です。世論とはあくまでも、その判断材料に過ぎません。例えば去年の安保法案ではどこのメディアも国民の半数以上が時期早々と言っていたのに、可決される結果となりました。結局我々がいくら意見を主張したとしても、『お上の判断』に沿わないのならば参考程度に留められる程度なのでしょう。気仙沼線もこれに同じく、「400億も赤字路線に出せるか!!」の一言でこうなっているんだと強く感じています。こうして震災直後から相談し国会でも取り上げられた民意は、参考程度としてバッサリと切り捨てられました。気仙沼線以上に世論が盛り上がっている只見線の復旧が全く進んでいない事実が、その体制の証明になっていると私は思っています。JRは400億が何とかならない限り、絶対に鉄路で復旧しません。岩泉線の先例から、それは誰もが知っています。「国は被災路線を見捨てたいんだな」と解釈せざる得ない、それが今の状況です。
そのつもりならば、鉄路復旧は国を無視した形で考える必要があります。『お上』が民意に背くならば、それを前提に思案するしかないでしょう。その方法の一つとして、私も裁判という話はアリなのではないかと考えております。もちろん現状復旧による第三セクター移管でも良いですし、上下分離式による鉄路復旧の模索もあるでしょう。ですがそれらは全て、自治体という行政の力を借りない限り実現する事は出来ません。故に私は、志津川の態度には本当に呆れてしまいました。今ではなく未来を見なければならない行政側がこんな態度では、話にならないのです。例え町民の半数以上が鉄路が望ましいと言っても、行政が「BRTで良いって言ってる奴も居るから、どうでもいい」と思えば終わりです。だから私は、そんな自治体は滅んでいくしかないと思った訳です。民意を無視して、未来も考えず、物臭に鉄路への道を模索しようともしない。残念ですが、こんな自治体は終わりです。そしてこれは行政側の意識改革がなされない限り、きっと変わる事はないのでしょう。ここまでくれば最早、よそ者である私にはどうしようも無い事です。この先、どうなっていくのでしょうね。
今、気仙沼市とJRが最後の協議に入っています。只の利用者である私は、ここでの結果を待つしかありません。どっかの町と違い、鉄路の必要性がよく分っている自治体です。鉄路が絶望的な中で、それでもBRT本復旧にストップをかけた自治体です。今後も同市を支え、気仙沼線の未来を考えていきたいと思っています。
長くなりました、有難うございました。
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