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気仙沼線の必要性を訴えるブログ

このブログは廃線の可能性が示唆されている気仙沼線について、鉄路による復旧を心の底から願っているある利用者が、存続を訴えていくブログです。 利用者として見てきた私の視点から、気仙沼線の必要性について記していきます。 少しでも鉄路による復旧の理解に繋がれば、嬉しく思います。 管理者

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これまでの南三陸町の対応について

前回の記事にもコメントさせていただきましたNTと申します。25日の会議で、大船渡線の方向性が決まり、三陸のレールが途切れることとなり、明治、昭和の二度の大津波がきっかけとなって敷設された鉄道が津波で失われてしまう事にもどかしさを感じております。
さて、気仙沼線の存廃問題に対する(特に今年に入ってから)南三陸町(商工会も含む)対応についてですが、私は度々疑問を感じてきました。
まず、先日の沿線自治体首長者会議の後の、記者に対して佐藤町長は「これ以上議論をしても結論を先延ばしにするだけで、会議は今回で終えるべき」と発言しました。これはおそらく気仙沼市が仙台方面へのアクセスの問題が解決していないために、現時点でのBRT容認に反対した事を名指しを避けて批判したものと思われますが、ここは同じ沿線自治体として互いの立場を尊重すべきですし、「自分達はもう結論を出したんだ、早くこの問題を片付けさせろ」と言っているようにも聞こえます。
南三陸町にとって、今までJRに任せっきりで自分達があまり関わる事のなかった鉄道の話はもはやお荷物なのでしょうか?
また、それ以前にも町長は、「直しても誰も使わない」「かさ上げした土地に線路を敷く事は難しい」といった消極的な意見を述べており、私はこの辺りから南三陸町の、鉄路復旧への諦めムード(行政側)や、「BRTができたのだからもうこれでいい」「とにかくこの話を早く片付けたい」といった行政側の本音?を感じました。
かさ上げ工事は鉄道を通す事を前提に進めるべきですから、鉄道復旧を厳しいとする理由にはならないような気がします。あくまで事務的処理のスピードを優先するのでしょうか?
町長は去年までは戸倉までの先行復旧を掲げていたのに、三陸道が志津川まで延伸する際に、「戸倉駅は中心部から離れていて不便。三陸道が繋がるからいい」と、方針を180度転換しました。
商工会に至っては、当初からBRTでの本復旧を前提として商店街の計画を立てていたそうです。全体的になんともちぐはぐです。鉄道を中心に街を作り直す機会はもう永久に失われてしまうのでしょうか?
三陸沿岸の鉄道のここ4年の一連の流れをみると、「JRか否か」や、復旧費用だけがこの様な流れを産んでいるのでは無いように思います。国が重い腰をあげて山田線や(三陸鉄道)に支援をしたのは岩手県の猛プッシュや沿線自治体の強硬な姿勢があったからこそのものでしょう。これが我らが宮城県のように、中立性を口実?に気仙沼線の問題にそっぽを向き、沿線自治体の一部が消極論に走るのならば、国はわざわざ400億円も出してくれるはずがありません。(JRは300億円も出すと言ってくれているのに…。)
先日、只見線の沿線自治体と福島県は、只見線の不通区間が復旧して貰えるのなら、この区間の赤字(年3億円)を補填すると発表しました。この他にも沿線自治体と福島県は只見線を盛り上げようと数多くの取り組みをしています。
なぜこう言った取り組みが宮城県や沿線自治体にできないのかと常ずね感じるところです。(赤字の補填の事ではありません)
先日のBSの番組で、石破地方創生相は七つ星IN九州について、「七つ星の停車駅に選ばれた駅のある街が、最高のものを提供しようと躍起になり、他の街も来年の停車駅になろうと躍起になる。 これこそが地方創生だ。」そして、「自信を失ってしまったら、その地方はおしまいだ」と言っていました。
気仙沼、南三陸地域から鉄道が消え、地域全体が自信を無くしたり、気仙沼線の事例が悪いお手本となるような結果(BRTでの本復旧)とならない事を願わずにはいられません。
長文失礼いたしました。

NT様、再びコメントを頂きまして有難うございました

始めに返信が遅れました事を、お詫び申し上げます。

さて志津川の態度についてですが、正直私には解せない事ばかりでした。
ブログでも指摘させて頂きましたが、気仙沼線が鉄路で必要なのは間違いなく志津川です。気仙沼ではないのです。

以前、こんな報道がありました。気仙沼の菅原市長が旧本吉町の方に7月のJRの方針を説明した時、随分と「鉄路を残して欲しい」という声が挙がったそうです。旧本吉地区は合併前の気仙沼市と違って大船渡線の鉄路恩恵に授かれない為、文字通り鉄路の無い町になってしまうからです。多分合併してなかったら、今の気仙沼よりも「鉄路復旧!!」と騒いでいたと私は思います。さすがに状況が状況ですので今は消極的にBRTを許容する方向へと傾きつつありますが、それだけ同地域には鉄路の必要性というものが浸透していたのです。なのに南隣りの自治体は・・・。本当に何やってんですかね?

このままいけば、志津川は間違いなく駄目になるでしょう。っていうか同町の場合は気仙沼線が鉄路として残って初めて、どのように街の人口減少を食い止めるかという話になると私は考えていましたので。本当は志津川が「鉄路、鉄路!!」と騒いで、鉄路が残る気仙沼の方がそれに追従する形にならないといけない。そしてこれを見かねた県が意向を尊重して、「じゃあ第三セクターにする?」という流れにて議論になっていかないといけないんです。なのに「鉄路は無理」とか言われたら、ハッキリ言って気仙沼にはどうしようもありませんよね。だからここの態度には、本当に腹が立ちました。残念ですが、私は同町を見限ります。誰も住まなくなる街づくりを急いで、滅びの道を辿ればいい。個人としては、気仙沼から仙台へのアクセスが確保されれば問題無いのだから。南三陸町の役場には、わざわざお手紙まで出したんですがね・・・。

もし私のブログでの主張が間違っていて三陸道が本当に南三陸町を救うのならば、是非将来的に示して欲しい限りです。佐藤町長の判断は本当に正しかったのか。最後まで見守っていきたいと思っております。

有難うございました。

  • saiwaityouandkawabata
  • 2016/01/07(Thu.)

未来②:南三陸町よ、本当にそれで良いのか?


願わくば、この事例がフィクションとなる事を祈る。

平成38年─冬─

 気仙沼線が廃線となり、BRTになってから10年。
 私が子供の時に見ていた更地の光景はすっかり影を潜め、目に見えて復興を感じられるようになった。撤去するしないで揉めていた防災庁舎は、今や復興記念公園とセットで観光スポットとなっている。当時の行政の判断は、どうやら正しかったようだ。

 しかし、全てがそうだとは言えない。私は残念だが、この春の仙台への大学進学を機に、もうこんな不便な町へ居を構える事は無いだろう。高校生活の三年間が、その想いを強めたのだ。

 5年前、勉強嫌いだった私。そんな自分は近くの志津川高校への通学を考えていた。ところがその年、少子化による生徒数減少から、閉校の報道が為されたのだ。その危機は翌年に何とか回避されたのだが、当時の私は焦ったものだ。公立の普通科志望なら、残りは町外を出て本吉の響高校か気仙沼高校位しか選択はない。近いから志津川高校にするつもりだったのだが・・・。仕方ないので気高を第一志望とし、落ちたら二次募集で響に行くというプランで勉強を頑張る事にした。父は気高出身だったので、随分喜ばれた事を今でも覚えている。

 そして3年前、私は気高に奇跡的に合格した。あの時の喜びは、大学の推薦合格よりも嬉しかった事を今でも覚えている。しかし私にとってそれは、これから始まる毎日地獄の始まりでもあったのであった。

 毎朝、6時30分に志津川駅に立つ私。そこから不動の沢まで90分間、バスに揺られて通う。寝坊した時は43分のBRTに乗る事もあったが、遅刻が嫌いな私は眠いのを我慢して、いつも31分のBRTに乗っていた。座れれば問題は無いのだが、座れない時は最悪だ。特に本吉を過ぎると、常に車内はひどい状態となる。中3の修学旅行で経験した満員電車を、ここで味わえるとは思わなかったものだ。そんな状態だから、座れても狭いバスでは全然ゆっくりも出来ない。最初の頃は来るだけで疲れていたので、1時間目は全然集中出来なかったものだ。今でさえ志津川高校を見る度に、「何で閉校なんて検討したんだ!」と恨めしく思ってしまっている。だがらこそ、同じ不満を持っていたであろう父にその旨を話した。この辛さを共有しようと考えたのである。だが、父からは信じられない返答が帰ってきたのであった・・・。

 父の時代、即ち列車の時代はまず1時間で不動の沢まで行けたそうだ。なので毎日、7時06分の列車で十分に間に合っていたそうである。しかも志津川からだと100%座れていたそうだ。私同様、朝の苦手な父は列車のボックス席でパンを食べ、その後はのんびり寝ていくのが日課であったと言う。今の自分とは大違いである!!何だかイライラしてきた私はとっさに「食べ物なんて食べると、トイレ行きたくなっちゃうでしょ!?」と返したが、父からは「いや、電車にトイレあったし・・・」と真顔で返されてしまった。

『誰だ、BRTで良いと言ったのは!!』


 過去に腹を立てた瞬間であった。

 だがそれでも帰りはまだマシだった。帰宅の際は、だいたい16時02分か32分か17時02分のBRTで帰っていたのだが、父の時代は15時54分の快速が行くと次は17時43分まで電車が無かったらしい。唯一無意味に、私は父に心の中でどや顔をしていた事は今でも秘密だ。

 だがそれも2年前、急に終わった。ダイヤ改正で、16時32分も17時02分も廃止になったのだ。JRは利用者が少ない為とか言っていたが、少なくとも貸切状態って訳では無かったのに。今でも私は、この削減理由が全然理解出来ていない。

 こうして2年生からは16時02分に乗れないと、次は18時02分のバスまで無い状態となった。駅への下り坂を走った事は、一体何度あっただろうか。そしてそこから75~85分も揺られて、志津川へ帰る。気になって調べてみたら、列車の時代は15時54分の快速に乗れば、志津川までは40分だったそうだ。昔を知った私にとって、こんな残念な事は無いと思う。

 志津川高校は20年前に比べて、生徒数が3分の2に減ったそうだ。だから閉校の話が出るのだろう。お隣の響高校も、あまり良い話は聞かない。正直、自分が親として子供を育ててる間に、この辺りの高校は気高と向洋位しか残って無いんじゃないかと考えてしまうのが現実だ。志津川の人達は、強制的に気仙沼の高校へ行く事になる。それを考えてしまえば、悪いが私はとてもこの町には住めない。将来、自分の子供に通学で大変な想いをさせたくはないのだ。

 同じ通学でも、もし私も列車で気高に通えていれば、そうは思わなかったかも知れない。だが過去はBRTを選び、それが私が帰らない理由へとなった。平成の世が終わる頃、ここはどうなっているのか。それはまだ、誰も知らない・・・。


we can change the history .
 
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これまでの南三陸町の対応について

前回の記事にもコメントさせていただきましたNTと申します。25日の会議で、大船渡線の方向性が決まり、三陸のレールが途切れることとなり、明治、昭和の二度の大津波がきっかけとなって敷設された鉄道が津波で失われてしまう事にもどかしさを感じております。
さて、気仙沼線の存廃問題に対する(特に今年に入ってから)南三陸町(商工会も含む)対応についてですが、私は度々疑問を感じてきました。
まず、先日の沿線自治体首長者会議の後の、記者に対して佐藤町長は「これ以上議論をしても結論を先延ばしにするだけで、会議は今回で終えるべき」と発言しました。これはおそらく気仙沼市が仙台方面へのアクセスの問題が解決していないために、現時点でのBRT容認に反対した事を名指しを避けて批判したものと思われますが、ここは同じ沿線自治体として互いの立場を尊重すべきですし、「自分達はもう結論を出したんだ、早くこの問題を片付けさせろ」と言っているようにも聞こえます。
南三陸町にとって、今までJRに任せっきりで自分達があまり関わる事のなかった鉄道の話はもはやお荷物なのでしょうか?
また、それ以前にも町長は、「直しても誰も使わない」「かさ上げした土地に線路を敷く事は難しい」といった消極的な意見を述べており、私はこの辺りから南三陸町の、鉄路復旧への諦めムード(行政側)や、「BRTができたのだからもうこれでいい」「とにかくこの話を早く片付けたい」といった行政側の本音?を感じました。
かさ上げ工事は鉄道を通す事を前提に進めるべきですから、鉄道復旧を厳しいとする理由にはならないような気がします。あくまで事務的処理のスピードを優先するのでしょうか?
町長は去年までは戸倉までの先行復旧を掲げていたのに、三陸道が志津川まで延伸する際に、「戸倉駅は中心部から離れていて不便。三陸道が繋がるからいい」と、方針を180度転換しました。
商工会に至っては、当初からBRTでの本復旧を前提として商店街の計画を立てていたそうです。全体的になんともちぐはぐです。鉄道を中心に街を作り直す機会はもう永久に失われてしまうのでしょうか?
三陸沿岸の鉄道のここ4年の一連の流れをみると、「JRか否か」や、復旧費用だけがこの様な流れを産んでいるのでは無いように思います。国が重い腰をあげて山田線や(三陸鉄道)に支援をしたのは岩手県の猛プッシュや沿線自治体の強硬な姿勢があったからこそのものでしょう。これが我らが宮城県のように、中立性を口実?に気仙沼線の問題にそっぽを向き、沿線自治体の一部が消極論に走るのならば、国はわざわざ400億円も出してくれるはずがありません。(JRは300億円も出すと言ってくれているのに…。)
先日、只見線の沿線自治体と福島県は、只見線の不通区間が復旧して貰えるのなら、この区間の赤字(年3億円)を補填すると発表しました。この他にも沿線自治体と福島県は只見線を盛り上げようと数多くの取り組みをしています。
なぜこう言った取り組みが宮城県や沿線自治体にできないのかと常ずね感じるところです。(赤字の補填の事ではありません)
先日のBSの番組で、石破地方創生相は七つ星IN九州について、「七つ星の停車駅に選ばれた駅のある街が、最高のものを提供しようと躍起になり、他の街も来年の停車駅になろうと躍起になる。 これこそが地方創生だ。」そして、「自信を失ってしまったら、その地方はおしまいだ」と言っていました。
気仙沼、南三陸地域から鉄道が消え、地域全体が自信を無くしたり、気仙沼線の事例が悪いお手本となるような結果(BRTでの本復旧)とならない事を願わずにはいられません。
長文失礼いたしました。

NT様、再びコメントを頂きまして有難うございました

始めに返信が遅れました事を、お詫び申し上げます。

さて志津川の態度についてですが、正直私には解せない事ばかりでした。
ブログでも指摘させて頂きましたが、気仙沼線が鉄路で必要なのは間違いなく志津川です。気仙沼ではないのです。

以前、こんな報道がありました。気仙沼の菅原市長が旧本吉町の方に7月のJRの方針を説明した時、随分と「鉄路を残して欲しい」という声が挙がったそうです。旧本吉地区は合併前の気仙沼市と違って大船渡線の鉄路恩恵に授かれない為、文字通り鉄路の無い町になってしまうからです。多分合併してなかったら、今の気仙沼よりも「鉄路復旧!!」と騒いでいたと私は思います。さすがに状況が状況ですので今は消極的にBRTを許容する方向へと傾きつつありますが、それだけ同地域には鉄路の必要性というものが浸透していたのです。なのに南隣りの自治体は・・・。本当に何やってんですかね?

このままいけば、志津川は間違いなく駄目になるでしょう。っていうか同町の場合は気仙沼線が鉄路として残って初めて、どのように街の人口減少を食い止めるかという話になると私は考えていましたので。本当は志津川が「鉄路、鉄路!!」と騒いで、鉄路が残る気仙沼の方がそれに追従する形にならないといけない。そしてこれを見かねた県が意向を尊重して、「じゃあ第三セクターにする?」という流れにて議論になっていかないといけないんです。なのに「鉄路は無理」とか言われたら、ハッキリ言って気仙沼にはどうしようもありませんよね。だからここの態度には、本当に腹が立ちました。残念ですが、私は同町を見限ります。誰も住まなくなる街づくりを急いで、滅びの道を辿ればいい。個人としては、気仙沼から仙台へのアクセスが確保されれば問題無いのだから。南三陸町の役場には、わざわざお手紙まで出したんですがね・・・。

もし私のブログでの主張が間違っていて三陸道が本当に南三陸町を救うのならば、是非将来的に示して欲しい限りです。佐藤町長の判断は本当に正しかったのか。最後まで見守っていきたいと思っております。

有難うございました。

  • saiwaityouandkawabata
  • 2016/01/07(Thu.)

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