このブログは廃線の可能性が示唆されている気仙沼線について、鉄路による復旧を心の底から願っているある利用者が、存続を訴えていくブログです。 利用者として見てきた私の視点から、気仙沼線の必要性について記していきます。 少しでも鉄路による復旧の理解に繋がれば、嬉しく思います。 管理者
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はじめまして。以前から拝見しておりました。
私も、この鉄道軌道整備法の改正を目指す議員連盟の動向には注視していた人間です。
結論から申しますと、残念ながら、今回の改正案が可決されても、大船渡線や気仙沼線は支援の対象にはならないようです。杉山淳一さんのネット記事にありましたが、この補助の遡及適用が平成26年開始の工事からとなっており、すでにその前にBRTとは言え工事着手している大船渡線や気仙沼線はは対象外なのだそうです。というか、国会議員もバカではないので、今さら蒸し返されない細工を施しています。この他にも法律の文言に出てくる「民生の安定」というものも、中身を見ていくと「鉄道に替わる代替交通がないこと」を補助の前提条件としているようです。すでにBRTというある意味立派な代替交通がある当地域は対象にならないわけです。
法案の中身を見れば見るほど大船渡線や気仙沼線のことを意識して除外しているように感じます。
この法改正を目指す自民党の「赤字ローカル線の災害復旧等を支援する議員連盟」が出来たのが平成26年ですから、まだ大船渡線や気仙沼線沿線が鉄路復旧を望んでいた時期です。この議員連盟設立の発起人の一人が自民党の菅家一郎議員で、只見線沿線の選出です。黒字会社の赤字ローカル線が廃線になる理不尽を何とかしようと衆参議員に呼びかけたところ100人以上の議員が賛同してくれて参加したそうです。しかし、私が調べたところ、面白いことに、大船渡線や気仙沼線、それに関係する選挙区から出ている自民党議員が一人もその議員連盟に参加していないようなのです。
おそらくは、大船渡線や気仙沼線の復旧費用が多額であったことから、政府としてあまり深入りしたくない、鉄路復旧はさせないという意向があったのではないでしょうか?只見線復旧でシュプレヒコールを上げていた菅家議員もまた、こと大船渡線や気仙沼線については静観の構えであったことからも想像できます。これも安倍一強の弊害と言うべきか・・・。
もっと、あと3年前に法律が改正されていたらと思うと時期的に悲劇でした。でも、JR北海道のようにBRTすら運行できる体力さえ持ち合わせていない会社から考えれば、まだ恵まれているとも言えます。私は早くから、山田線のような三セクの道、あるいは上下分離をしてJRに運営だけを任せる方法を模索してほしいと訴えてきました。後者の上下分離に関しては、そう思っていた矢先に只見線復旧方針で示され「やはり」と思ったわけです。鉄路を支える殆どである「線路用地」を自治体が保有すれば、自治体の「公共財」となり、激甚災害では道路や橋が被災したのと同じくらいの補助を期待できるからです。
この考え方で、ほぼ100%補助されたのが三陸鉄道の復旧です。
JRとすれば、三セク移管や只見線復旧のような上下分離が鉄路かそうでないかの最大限の譲歩の限界点であり、それはすくなくとも山田線の移管提案で気付いていたはずです。
にもかかわらず、相変わらず、「直すのもJR、運営するのもJR、維持するのもJR」という姿勢を自治体側が何も変えなかったため、このような結果に・・・。
私は、被災からの5年間は公共交通をどう支えるかを考える(考え直す)チャンスだったと思います。2000年以降、三セク移管や上下分離方式など鉄道を支える仕組みが世の中で変わりつつあるなか、私たち沿線住民も自治体も未だに国鉄が看板を掛け直しただけだと考えてきたようです。壊れたら直すのが当たり前だと。そしてそういう時だけ「公共交通を守る責務だ」云々・・・と。かくいう私もその一人だったのですが、自分の考えが30年も40年も前の古い考えであったことをに気付きました。
この先、BRTの赤字がどんどん膨れていったらどうなるのだろう?再び今回のような大災害で壊滅な被害にあったら等・・・今度は「BRTからも撤退します」と言うかもしれない。あの時もしBRT専用道の設備を上下分離で自治体側が保有する取り決めをしていたら、国の支援を受けやすくなり、JRの負担も少なくなって、もう1度作り直しますと言うかもしれない。
そんな先のことまで考えずに、「俺たち自治体が金を一切出さずに済むならBRTで良いね」という安易な妥協でBRTをOKしてしまったとしたら。
本当に議論すべきだったのは鉄道を支える仕組みづくりをすることじゃなかったのか?なのに、鉄路かBRTに甘んじるかの二択の議論に終始してしまった。自治体側にとってみれば、口では公共交通とは言ってもJRが自分の用地に勝手にバスを走らせているだけと言って逃げる口実にもなる。運営の後援ではなく、主催者の意識で参加させるには、やはり上下分離とか、駅舎は自治体保有などの積極的な参画がないと、今はいろいろ協力関係でも、数年後には他人事になってしまいそうな予感がします。
残念ながら、気仙沼線BRTの輸送密度は震災前の同区間の3割に落ち込んでいます。大船渡線のそれは6割。大船渡線はまぁこんなものでしょうと思えても、気仙沼線の数字は悪すぎます。仙台直通がないことが影響していると思いますが、当時、「BRTの方が便利だ」と新聞に載っていた人々の言葉は一部であったことが分かります。しかも、2016年度からは両線区ともに暫時減少が始まっています。BRTの新鮮さが薄れたというか限界点に来てると思います。これをどうするのか、本気で考えないとBRTですら過去のモノになる日がやってくると思います。
長々と、最後は恨み節のようになって申し訳ありませんでした。私も強く鉄道復旧を望んでいた人間ですので。鉄道軌道整備法改正法も適用除外となった今、せめて、昨年末実験された直通快速の継続、通年運行を望んでいます。
閲覧頂きまして、感謝申し上げます。
先に私が今回、記したブログ記事をお読み頂けましたでしょうか?
杉山さんのネット記事(だと思われる記事)、ブログ更新後に私も確認しました。
確かに私の理論が100%とは言えないので、その可能性もきちんと踏まえる必要があると思っています。
もし適応の対象でなければ、再び気仙沼線の鉄路復旧の確率は1%へとなるでしょう。それこそ今話題のトランプ大統領みたいな人が、「米朝首脳会談でうまくいって、気分がいいぜ!!気分がいいから、気仙沼線の鉄路復旧に金をばら撒いてやるぜ!!」というような感じの理論がぶっとんだスーパーサプライズでもない限り、永遠に直らないと思います。
今の気仙沼線に震災前以上の利用者数を期待するのは、絶対に無理な話です。
気仙沼線は「高校生」と「年輩者」と「仙台⇔気仙沼を行き来する人」で、もっていたような路線でした。人口減少社会到来を目前にして唯一、一番不変的な利用者数を確保出来るのは「仙台⇔気仙沼を行き来する人」だけです。BRTがいくら整備されたって、仙台まで気軽に電車で行ける環境がなければ、衰退しか道は無い事でしょう。
・・・実際私もまた今月に気仙沼→仙台を移動するのですが、気仙沼線は眼中に無いですし。乗車敬遠の乗り物に、未来はないです。
震災前に快速を走らせて鉄道が一番優位な状況をつくっていたのは、他ならぬJRでした。今の気仙沼線は一生赤字、バス運転手が不足する状況の中で無駄に多い運転本数を維持しろと迫られ、柳津~前谷地の中途半端な鉄道区間も維持しないといけない・・・。
これだったらかつて、今の利用者数の2倍以上もいらっしゃった気仙沼~仙台間の切符を、当然のように購入して下さるお客様へ戻ってきて頂いた方がマシだと思うかもしれません。
だから私は気仙沼線をまだ、諦める事が出来ないのです。
「民生上の理由」についてですが、これはそこまで心配する必要はないと思います。
只見線は「バスで遜色ない」とJRに言われたのに、適応対象となりました。
気仙沼線の場合、「三陸道が出来ても、日中に仙台駅まで2時間で行ける保障は無い。だが気仙沼線の快速は定刻で、2時間を切っていた。これは地域に於ける、経済の損失である」と言う事も可能ではないでしょうか。
国会議員さんについてですが、善意的な意見だけ記します。
一応気仙沼線は現段階で、「BRTで本復旧しました」扱いとなっております。
三陸沿岸の議員さん限定で考えた場合、野党の方はその方針に「反対」と気軽に言える立場ですが、与党議員は簡単に「反対」とは言えませんよね。だってやむを得ずとは言えBRTの了承に、与党側の人間として関わってるわけですから。ですが法律が変われば、また再検討出来る立場となります。地元から「やっぱり鉄路の方が良いよね」と声を届ける事、これが大切になるかと私は思っております。
JRのやる気、自治体の態度、国の正しい支援。この3つが重なる時、気仙沼線は蘇るのだと思っております。だからこそ、大船渡線は危うく感じるのです。気仙沼線沿線の町・市議会では定期的に話題になるのに、大船渡線沿線の市議会では鉄路について全然上がってこない。気仙沼線の陸橋は直すのに、大船渡線の鹿折唐桑~陸前矢作はBRT専用道を造る予定もない。この前の河北新報の記事で、そこから虫が湧いて農作物に被害が出るとか書いてありました。一体、どんな状態なんでしょうか・・・。
国の正しい支援だけでは、鉄路復旧は有り得ません。採算が取れる都会と違い、地方の公共交通は行政が関与しないと、あっという間に消滅します。今のJR北海道なんて、酷過ぎますよね。今から国が正しい支援をしても、残りの2つは解決するのでしょうか。
廃線されないような解決方法が見つかった時、それが新しい鉄道の運営モデルの参考になると私は思っております。
最後に震災前のような仙台⇔気仙沼間の速達列車の定期運行実現を願って、文章を終えたいと思います。有難うございました。
はじめまして。以前から拝見しておりました。
私も、この鉄道軌道整備法の改正を目指す議員連盟の動向には注視していた人間です。
結論から申しますと、残念ながら、今回の改正案が可決されても、大船渡線や気仙沼線は支援の対象にはならないようです。杉山淳一さんのネット記事にありましたが、この補助の遡及適用が平成26年開始の工事からとなっており、すでにその前にBRTとは言え工事着手している大船渡線や気仙沼線はは対象外なのだそうです。というか、国会議員もバカではないので、今さら蒸し返されない細工を施しています。この他にも法律の文言に出てくる「民生の安定」というものも、中身を見ていくと「鉄道に替わる代替交通がないこと」を補助の前提条件としているようです。すでにBRTというある意味立派な代替交通がある当地域は対象にならないわけです。
法案の中身を見れば見るほど大船渡線や気仙沼線のことを意識して除外しているように感じます。
この法改正を目指す自民党の「赤字ローカル線の災害復旧等を支援する議員連盟」が出来たのが平成26年ですから、まだ大船渡線や気仙沼線沿線が鉄路復旧を望んでいた時期です。この議員連盟設立の発起人の一人が自民党の菅家一郎議員で、只見線沿線の選出です。黒字会社の赤字ローカル線が廃線になる理不尽を何とかしようと衆参議員に呼びかけたところ100人以上の議員が賛同してくれて参加したそうです。しかし、私が調べたところ、面白いことに、大船渡線や気仙沼線、それに関係する選挙区から出ている自民党議員が一人もその議員連盟に参加していないようなのです。
おそらくは、大船渡線や気仙沼線の復旧費用が多額であったことから、政府としてあまり深入りしたくない、鉄路復旧はさせないという意向があったのではないでしょうか?只見線復旧でシュプレヒコールを上げていた菅家議員もまた、こと大船渡線や気仙沼線については静観の構えであったことからも想像できます。これも安倍一強の弊害と言うべきか・・・。
もっと、あと3年前に法律が改正されていたらと思うと時期的に悲劇でした。でも、JR北海道のようにBRTすら運行できる体力さえ持ち合わせていない会社から考えれば、まだ恵まれているとも言えます。私は早くから、山田線のような三セクの道、あるいは上下分離をしてJRに運営だけを任せる方法を模索してほしいと訴えてきました。後者の上下分離に関しては、そう思っていた矢先に只見線復旧方針で示され「やはり」と思ったわけです。鉄路を支える殆どである「線路用地」を自治体が保有すれば、自治体の「公共財」となり、激甚災害では道路や橋が被災したのと同じくらいの補助を期待できるからです。
この考え方で、ほぼ100%補助されたのが三陸鉄道の復旧です。
JRとすれば、三セク移管や只見線復旧のような上下分離が鉄路かそうでないかの最大限の譲歩の限界点であり、それはすくなくとも山田線の移管提案で気付いていたはずです。
にもかかわらず、相変わらず、「直すのもJR、運営するのもJR、維持するのもJR」という姿勢を自治体側が何も変えなかったため、このような結果に・・・。
私は、被災からの5年間は公共交通をどう支えるかを考える(考え直す)チャンスだったと思います。2000年以降、三セク移管や上下分離方式など鉄道を支える仕組みが世の中で変わりつつあるなか、私たち沿線住民も自治体も未だに国鉄が看板を掛け直しただけだと考えてきたようです。壊れたら直すのが当たり前だと。そしてそういう時だけ「公共交通を守る責務だ」云々・・・と。かくいう私もその一人だったのですが、自分の考えが30年も40年も前の古い考えであったことをに気付きました。
この先、BRTの赤字がどんどん膨れていったらどうなるのだろう?再び今回のような大災害で壊滅な被害にあったら等・・・今度は「BRTからも撤退します」と言うかもしれない。あの時もしBRT専用道の設備を上下分離で自治体側が保有する取り決めをしていたら、国の支援を受けやすくなり、JRの負担も少なくなって、もう1度作り直しますと言うかもしれない。
そんな先のことまで考えずに、「俺たち自治体が金を一切出さずに済むならBRTで良いね」という安易な妥協でBRTをOKしてしまったとしたら。
本当に議論すべきだったのは鉄道を支える仕組みづくりをすることじゃなかったのか?なのに、鉄路かBRTに甘んじるかの二択の議論に終始してしまった。自治体側にとってみれば、口では公共交通とは言ってもJRが自分の用地に勝手にバスを走らせているだけと言って逃げる口実にもなる。運営の後援ではなく、主催者の意識で参加させるには、やはり上下分離とか、駅舎は自治体保有などの積極的な参画がないと、今はいろいろ協力関係でも、数年後には他人事になってしまいそうな予感がします。
残念ながら、気仙沼線BRTの輸送密度は震災前の同区間の3割に落ち込んでいます。大船渡線のそれは6割。大船渡線はまぁこんなものでしょうと思えても、気仙沼線の数字は悪すぎます。仙台直通がないことが影響していると思いますが、当時、「BRTの方が便利だ」と新聞に載っていた人々の言葉は一部であったことが分かります。しかも、2016年度からは両線区ともに暫時減少が始まっています。BRTの新鮮さが薄れたというか限界点に来てると思います。これをどうするのか、本気で考えないとBRTですら過去のモノになる日がやってくると思います。
長々と、最後は恨み節のようになって申し訳ありませんでした。私も強く鉄道復旧を望んでいた人間ですので。鉄道軌道整備法改正法も適用除外となった今、せめて、昨年末実験された直通快速の継続、通年運行を望んでいます。
閲覧頂きまして、感謝申し上げます。
先に私が今回、記したブログ記事をお読み頂けましたでしょうか?
杉山さんのネット記事(だと思われる記事)、ブログ更新後に私も確認しました。
確かに私の理論が100%とは言えないので、その可能性もきちんと踏まえる必要があると思っています。
もし適応の対象でなければ、再び気仙沼線の鉄路復旧の確率は1%へとなるでしょう。それこそ今話題のトランプ大統領みたいな人が、「米朝首脳会談でうまくいって、気分がいいぜ!!気分がいいから、気仙沼線の鉄路復旧に金をばら撒いてやるぜ!!」というような感じの理論がぶっとんだスーパーサプライズでもない限り、永遠に直らないと思います。
今の気仙沼線に震災前以上の利用者数を期待するのは、絶対に無理な話です。
気仙沼線は「高校生」と「年輩者」と「仙台⇔気仙沼を行き来する人」で、もっていたような路線でした。人口減少社会到来を目前にして唯一、一番不変的な利用者数を確保出来るのは「仙台⇔気仙沼を行き来する人」だけです。BRTがいくら整備されたって、仙台まで気軽に電車で行ける環境がなければ、衰退しか道は無い事でしょう。
・・・実際私もまた今月に気仙沼→仙台を移動するのですが、気仙沼線は眼中に無いですし。乗車敬遠の乗り物に、未来はないです。
震災前に快速を走らせて鉄道が一番優位な状況をつくっていたのは、他ならぬJRでした。今の気仙沼線は一生赤字、バス運転手が不足する状況の中で無駄に多い運転本数を維持しろと迫られ、柳津~前谷地の中途半端な鉄道区間も維持しないといけない・・・。
これだったらかつて、今の利用者数の2倍以上もいらっしゃった気仙沼~仙台間の切符を、当然のように購入して下さるお客様へ戻ってきて頂いた方がマシだと思うかもしれません。
だから私は気仙沼線をまだ、諦める事が出来ないのです。
「民生上の理由」についてですが、これはそこまで心配する必要はないと思います。
只見線は「バスで遜色ない」とJRに言われたのに、適応対象となりました。
気仙沼線の場合、「三陸道が出来ても、日中に仙台駅まで2時間で行ける保障は無い。だが気仙沼線の快速は定刻で、2時間を切っていた。これは地域に於ける、経済の損失である」と言う事も可能ではないでしょうか。
国会議員さんについてですが、善意的な意見だけ記します。
一応気仙沼線は現段階で、「BRTで本復旧しました」扱いとなっております。
三陸沿岸の議員さん限定で考えた場合、野党の方はその方針に「反対」と気軽に言える立場ですが、与党議員は簡単に「反対」とは言えませんよね。だってやむを得ずとは言えBRTの了承に、与党側の人間として関わってるわけですから。ですが法律が変われば、また再検討出来る立場となります。地元から「やっぱり鉄路の方が良いよね」と声を届ける事、これが大切になるかと私は思っております。
JRのやる気、自治体の態度、国の正しい支援。この3つが重なる時、気仙沼線は蘇るのだと思っております。だからこそ、大船渡線は危うく感じるのです。気仙沼線沿線の町・市議会では定期的に話題になるのに、大船渡線沿線の市議会では鉄路について全然上がってこない。気仙沼線の陸橋は直すのに、大船渡線の鹿折唐桑~陸前矢作はBRT専用道を造る予定もない。この前の河北新報の記事で、そこから虫が湧いて農作物に被害が出るとか書いてありました。一体、どんな状態なんでしょうか・・・。
国の正しい支援だけでは、鉄路復旧は有り得ません。採算が取れる都会と違い、地方の公共交通は行政が関与しないと、あっという間に消滅します。今のJR北海道なんて、酷過ぎますよね。今から国が正しい支援をしても、残りの2つは解決するのでしょうか。
廃線されないような解決方法が見つかった時、それが新しい鉄道の運営モデルの参考になると私は思っております。
最後に震災前のような仙台⇔気仙沼間の速達列車の定期運行実現を願って、文章を終えたいと思います。有難うございました。
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